「英語教育学は科学である」。
たとえ、これが予算獲得のために発せられた言葉だとしても、この宣言以上に英語教育学者を鼓舞する言葉があるだろうか。そして本書の刊行によって、この言葉は否定できない事実となった。英語教育学における記念碑的作品である。
Barker博士(University of Diploma Mill)は科学の最先端である脳科学に果敢に切り込む。もちろんこれまでの英語教育学に脳科学を扱ったものがないわけではない。しかし従来の研究は特定の認知活動を行った場合には、脳のどの部位が活性化するかを報告したものに過ぎなかった。これは現象の「記述」に過ぎず、そこから結論できるのはある種の相関関係だけである。現象の「説明」ではない。仮説演繹的で反証に耐えうる説明理論がないのだ。
この点、Barker博士のアプローチは大胆だ。彼は相関関係でなく、因果関係の立証に取り組む。しかも根源的な因果関係である。そして彼の研究は、反証仮説に打ち勝った。ここにおいて英語教育学初の本格的な脳科学研究が誕生したのである。
Barker博士は、脳(およびそれに連なる内臓器官)がないことだけを除けば、通常の学習者と全く同じと想定できるアンドロイド「A1」(Antarctica #1)を作り出し、このA1と通常の学習者(以下、対照群)の学習発達を比較するという方法で、英語学習に脳が働いているかという根源命題を実験的に立証することを試みた。どの部位が活性化するなどといった断片的な研究でない。誰もが指摘されれば「はっ」とせざるを得ない、根本の因果関係の立証に彼はチャレンジしたのである。
Barker博士は、氏が開発した英語テスト(Test Of International Literacy in English Teaching: TOILET)によってA1と対照群の英語学習の度合いを測定した。対照群は、最初はTOILETでほとんど何もできなかったものの(「何っすか、これって、どっかの○を黒く塗りゃぁよかったんすか。指示とかが英語で書かれているとマジわかんないんっすけど」というのが対照群の一人の声である)、次第に正答率は25%前後に落ち着く(問題は四択)。しかしA1は見事に正答率が0%のままであった(「てか、A1って、鉛筆握れないし」とは実験助手の証言である)。これにより英語学習には脳が不可欠であることが立証された。Barker博士は脳科学の根源的疑問に答えを出したのである。
このようにこの書は科学の書であるが、同時に文学の書でもある。質的分析のパートでは、Barker博士は、霊長類研究や乳幼児研究では批判的に取り上げられるoverinterpretationの方法を大胆に採択し、A1の声なき声を聞き取る。翻訳者の柳瀬妖介氏(東広島大学殉教授)も「訳者後書き」で指摘するように、A1に表情と声を読み取り、彼女と対話するBarker氏の文章の行間から、彼が研究者としては自ら禁じたはずのA1への愛情が、いつのまにか伝わってくる。Barker博士の深い葛藤は、彼の記述を文学のレベルにまで押し上げている。
以上まとめたようにこの研究は、大胆な哲学的構想に基づいた実証的な科学であり、また表現において文学である。ここにおいて英語教育学は、哲学、科学、文学のどの分野でも予算請求ができる学術的ステイタスを手に入れたと言えよう。慶賀と言わずに、何と言おう。
なお翻訳についても一言。Barker博士の原文は英語であるが、これは上述の柳瀬妖介殉教授の達意の翻訳によって非常に読みやすい日本語となっている。「フランス語の翻訳に比べて英語の翻訳はずいぶん楽でした。ですから、翻訳者が読んでよくわからないところは思い切って省略するという方針でスイスイ翻訳は進みました」と述懐する彼の努力によって、原著800ページの英語は、120ページの読みやすい日本語となっている。忙しい毎日の仕事の合間をぬって、親指だけによって翻訳をケータイで完了させた翻訳者の労も讃えるべきであろう。「ケータイ小説」とならんで、このような「ケータイ翻訳」は今後普及するかもしれない。
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[以上、『英語狂育通信 2008年4月1日号』より転載]
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