ルーマンの『システム理論入門』を、気になるところは原著(Einführung in die Systemtheorie)でチェックしながら読もうとしたら、ほんのわずかを読むだけで、予想以上の多くの時間がかかってしまいました。
もちろんこれにはルーマン理論の難しさがありますが、端的に私のドイツ語力が不足しているのが大きな原因です。まず基本的な語彙を知らない(あるいは忘れている)。だから翻訳書があっても、いちいち辞書をひかねばならず、とにかく時間がかかる。次に、文法の活用と名詞の性がきちんと頭に入っていないので、正確な文法関係がなかなか理解できない。大学生と大学院生の時代にもっときちんとドイツ語を頭に叩き込んでおけばよかったと40台半ばになって後悔しています。
人文系は、数学ができないのでしたら、せめて外国語ぐらいは精確に読解できる学力をつけておくべきでしょう。
この駄文は、将来人文系の研究者になることを目指している人のために書いています。人文系は、せめてきちんと複数の外国語が読めるべきでしょう。理系の学生が、ゴリゴリ実験や計算をやるぐらいの時間をかけて、綿密に外国語文献を頭から脂汗がでるぐらい精読しておくべきだと私は考えます。みっちり机について、尻が痛くなるぐらいまで時間をかけて外国語をそれこそ「勉強」する(勉め強いる)ことが必要かと思います。
現在日本の大学では、「えっ、この大学も!」と驚くぐらいに第二外国語が軽視されています。大学院入試で第二外国語の学力をきちんと問う大学院の方が珍しいぐらいです。世界的に高等教育機関というものを考えたときに、これは異常なことではないでしょうか(あ、でも英国でドイツ語を読めずにニーチェで博士論文を書く人の話も聞いたことがあるなぁ)。1990年代からの「大学設置基準大綱化」などの流れ、あるいは端的に院生確保から、第二外国語を軽視(というより放棄)してきた日本の人文系の力は、将来取り返しがつかないぐらいに損なわれてしまっているのではないでしょうか。英語さえ読めればいいというのは、少なくとも人文系では、危険すぎる短絡ではないでしょうか。
ましてや英語ですら精読ができないというのは致命傷かと思います。大学教育での外国語の精読の伝統が廃れつつある現状を私は怖く思います。人文系の衰退など、すぐには目につかないかもしれませんが、長期的に見れば国を深く損なうのではないかと思います。
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