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お知らせ
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英語授業研究学会(関西支部例会 2007年5月26日)で、田尻悟郎先生と中嶋洋一先生のティームティーチングによる即興授業(富山県砺波市立出町中学校3年1組)をビデオで見ました。私は実はこの授業を生で見ていた(2005年11月)のですが、改めて見ても、すごい授業だったのだなと思いました。
この授業を仕掛けたのは中嶋先生で、「生徒の様子を見ながら、授業者の意図を汲んで、即興で反応できる教師」である「天才的なジャズマン」としての田尻先生のよさを最大限に引き出すために、ほとんど授業の打ち合わせはしなかったそうです。中嶋先生が展開してゆく授業に、田尻先生が即応して生徒に働きかけていました。
「よく即興でこれだけのことができるなぁ」というのはやはり正直な感想です。ジャズに加えて、アナロジーを重ねるならば、目の前の駒をどうするかだけで手一杯の将棋の初心者が、これまでの豊富な将棋体験を基に三手、四手先を常に読んでいる有段者の棋風に驚くようなものでしょうか。あるいは、目の前のパンチを避けるだけで精一杯のボクシングの初心者が、百戦錬磨のボクサーに寸止めのパンチをもらっているだけで、いつのまにかコーナーに追い詰められていることに驚くようなものでしょうか。
田尻先生の即興は、一つ一つの行動を起こす前に、高速で予め様々なことを「読んで」いることによって可能になっているように思います。予め「読んでいる」様々なこととは、
(1)相手(中嶋先生、生徒)の心
(2)自分が発しようとする言葉
(3)(1)と(2)が引き起こす相互作用
(4)(3)がこれまでの授業の流れと引き起こす相互作用
です。田尻先生は、これらを高速で「読み」、「織り込んだ」上で、教師行動を起こしているようにも思えました。
もちろん田尻先生の「読み」が常に正しいものでもないでしょう。それはジャズマンや棋手やボクサーが常に完全な予測をするわけではないのと同じです。即興家たちは、ある程度読んで行動を起こしたら、今度はその行動から生じるフィードバックを即座に認知し、その新たなフィードバックに基づいて新たな読みを開始します。その読み→行動→フィードバック→読みのサイクルが速く頻繁であるところが即興家の名人たるゆえんでしょう。
それではこのような即興能力はどうしたらつくのでしょうか(即興能力をつけるべきかという問題はひとまずおいておきます)。「即興を重ねることによって」というのは愚かな答えでしょう。私たちは実践を失敗の連続にすることは許されません。そうなると、まずは他人の多くの事例に即して反省的に考えることでしょうか。それはあたかもジャズマンが過去の名盤を吟味しながら聴くこと、棋手が過去の棋譜を(最近ではネットも使うそうですが)多く集めてそれらを振り返り自分でシミュレートすること、あるいはボクサーが過去の名勝負を多く見てその動きを分析することに類する学びでしょうか。他人の事例を振り返り、自分ならどう考えたか、どうしただろうか、そしてどうするべきなのかなどを徹底的に考え、そうして少しずつ自分の実践でも即興の要素を取り入れてゆくというのが、実践力を高める道でしょうか。
いずれにせよ避けるべきことは、このように優れた実践を見て、ため息だけついて自ら考えることを諦めてしまうことかとも思います。ひょっとすると情報があふれる昨今は、その情報洪水のゆえに、かえって考えることが阻害されているのかもしれません。情報に接したら必ずそれについて考えること、よい情報に接したらそれだけ長く深く考えること、考える時間がないようなら情報を遮断することを私たちは自分の方針としてもよいのかもしれません。
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