2007年6月8日金曜日

佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』講談社

社会には様々な矛盾があります。同じ人間として生まれてきたはずなのに、ある者はやたらと厚遇され、ある者は無慈悲に打ち捨てられる。そのような矛盾に面したときに、若者はしばしば涙と怒りを禁じえません。しかし、涙を流し続けることも怒り続けることも楽なことではありません。ですから多くの若者は、自分だけは厚遇される「勝ち組」になろうとし、多くの中高年は矛盾を「仕方のないこと」として自らの感性と思考に蓋をします。本来は、社会の諸矛盾を一つ一つ確認し、それを少しでも改善すべく、粘り強く働きかけることが人類の幸福であるのに。そして個々人の幸福は実は人類全体の幸福と深く関わっているはずなのに・・・

この漫画は、日本の医療の矛盾に怒りをぶつけることを抑えることができなかった若き研修医が、周りを困惑させ混乱させながら、医療システムを、良くも悪くも、揺り動かしてゆく物語です。その中で彼は、地味で一見かっこ悪かったり、変人ぽかったり、冷酷なように見えながら、実は自らの人生をかけて、自らの持ち場で医療のために闘い続けている大人に出会ってもゆきます。

もう既に中年である私は、若い主人公よりも、むしろそのようにさえない大人に共感を覚えながらこの漫画を一気に読みました。私は教員で、医療の仕事ほどにギリギリの勝負ではないにせよ、人間が人間である限り当然受ける権利をもつと人類が考えるように至った公共性の高い仕事をしています。そのような教員の端くれとして、世間のスポットライトとは無関係に現場の末端で泥をかぶりながら闘い続けている中高年に、自らがありたい姿を投影しながら読みました。大人として社会の中で働き続けることは素晴らしい!

ただ、そのように尊敬すべき大人もあれば、世俗の既存権益の甘い汁を吸い続けることしか興味のない軽蔑すべき中高年もいます。自分が属する組織の権威とその世間の評判でしか自分を確認できない哀れな中高年もいます。彼/彼女らには、自分が自分であるためには、お金や名声が必要なのです。そうでなければ不幸な彼/彼女らは不安で仕方がないのです。

それに比べて現場で泥をかぶり続ける大人たちは、どれほど人間的に上等なことか。そういった大人は大金も多くの人々からの賞賛も必要としません。生活に必要なだけの最小限のお金と、心から「ありがとう」といってくれる一人の人間さえいれば、「大人」は幸せなのです。

そうしますと社会のいわゆる「偉い人」や「有名人」とは、実は不幸な人ではないのかとも思えてきます。

私は幸せな人でありたい。

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信仰的な追伸:

いや、幸せになるためには、私たちには一人の感謝すらいらないのかもしれません。神様に背を向けなかった(=神様の前で苦しみ、泣き、神様を求め続けた)、あるいはイエス・キリストが自分に対して微笑んでくれるイメージを持てた、それだけで私たちは幸せになれるのかもしれません。もちろん独りよがりは非常に危険ですが・・・


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