2007年5月12日土曜日

個人と文化


私たちは、文化とは昔からそこにあるもので、別段そこには個人の貢献などはないものだと思いがちです。もちろんそれで正しい場合も多いのでしょうが、アメリカのジャーナリズム文化にはある個人の貢献が大きかったようです。George Packerという人によるThe New Yorker (May 7, 2007, p. 29)の記事は次のように言います。

In 1963, the notion that a newspaper reporter might challenge the official story of generals and ambassadors in the middle of a war, essentially accusing them of lying, was so improbable that it could have occurred only to someone still in his twenties.

しかしながら、それをやってのけたのがDavid Halberstamです。

http://en.wikipedia.org/wiki/David_Halberstam

彼は、当時の将軍の不誠実な態度に憤りを感じ、徹底的な批判記事を書くだけでなく、大使館のパーティの席で、将軍との握手を拒否するまでのこともやりました。

Halberstam’s wartime work will last not just because of its quality and its importance but because it established a new mode of journalism, one with which Americans are now so familiar that it’s difficult to remember that someone had to invent it.

現代アメリカの良きジャーナリズム文化は、Halberstam個人の勇気と良心によって創られたのです。彼の代表作、 “The Best and the Brightest”について著者は次のように言います。

I read “The Best and the Brightest” in Iraq in the summer of 2004. By then, that war had gone badly, perhaps irretrievably, wrong, and Halberstam’s three-decade-old book seemed like front-page news.

私たちの業界においても社会においても、「こんなもんだから」「仕方ない」「難しいことをいわずに」などと諦めムードに流されず、ある個人の貢献を、その他の人々がそれぞれに評価し、良きものにはサポートを行い、悪しきもの(と思われるもの)には建設的な批判を行い、より良き文化を作り上げたく思います。

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