2007年5月21日月曜日

「ベストエフォート型」のシステム


「日本の英語教育」と一口に言っても、その実際の実践は、多種多様です。ですから「これからの日本の英語教育はどうあるべきか」といった語り口で、「日本の英語教育」をあたかも一枚岩の一つの閉じた「組織」のように考えることは不適切だと私は考えます。そうでなくて多種多様の複数の「組織」が相互作用している一つの「自生的秩序」と考えるべきだろうということを私は、大津由紀雄編著『日本の英語教育に必要なこと―小学校英語と英語教育政策』ででも述べました。


この「自生的秩序」(spontaneous order)ハイエクの用語ですが、この概念を、彼自身は後年の Fatal Conceitという著では、 “extended order”という用語で表現しています。含意としては、この秩序は、個々人のコントロールを超えたものであるというものがあるのではないかと私は推測します。

そうしますと「日本の英語教育は自生的秩序である」という言い方も、どこか無責任なようにも聞こえてきます。個々の英語教育関係者は、それぞれが自分の組織の中で仕事をしていればいいだけのようにも思えてきます。

何かよい表現・概念はないかと思っていたときに、東京大学教授の坂村健氏の書かれたコラムが目にとまりました。毎日新聞2007520日の「時代の風 デジタル・デバイドと自己責任」です。この中で、氏は、昔の電話機の故障なら電話局に連絡すればなんとかなったが、インターネットの故障は、各種関係部局(例、パソコンメーカー、プロバイダー、周辺機器メーカーなど)に色々と問い合わせてみないと解決しないので不便だと一般ユーザーが思っているというエピソードを紹介します。「インターネットの責任者を呼べ」と言っても一人の人間が呼び出されるわけではないのです。

これはシステムが複雑化し巨大化したことから生じるものです。電話あるいは鉄道のように、一つの組織が全責任を持てるようなシステムを氏は「ギャランティー(性能保証)型」と呼びます。その設計思想と対極にあるのが、インターネットあるいは道路のように、多種多様の独立した組織が相互依存しながら運営されてゆくシステムです。これを氏は「ベストエフォート(最大努力)型」と呼びます。「ベストエフォート型」システムについて氏はこう論じます。

鉄道と道路、電話とインターネットこれらの違いを考えればわかるように、自由度を求めるほどシステムはベストエフォート型になる。そういう時代の情報システムでは、技術設計と同程度かそれ以上に制度設計が重視される。技術ではカバーできない部分は制度でカバーする。こうした発想が必要なのだ。

最も重要なのは「責任分界点」を決めること。まさに責任を「分解」して、ここの主体が担える程度の大きさの責任に切り分ける。当然、個々の主体が、他を信じてシステムの一部を担うためにも十分な情報公開がなされていることが大前提だ。

英語教育の議論も、以前は教室内の技術実践ばかりが目立ちましたが、最近は複数教室が絡む学校内での実践も報告され始めました。しかしそれらだけでなく、学校を超えた英語教育「制度設計」も重視されるべきでしょう。そのための「大前提」として、各種英語教育の「組織」の関係者は、自らが行っていることを他人にも分かるように情報公開して、その情報が容易に他人に入手可能な状態にしておくことが必要となってくるでしょう。それではその「情報」とはどのような切り口の情報であるべきか。優れた「情報公開」とはどのようなスタイルなのか。「情報のマネジメント・システム」とはどうあるべきなのかこういった論点を英語教育に即して具体的に突き詰めてゆくことが私たちには求められているような気がします。

追記

この小文を書く際に、偶然グーグル検索で、ハイエクに関する、吉野裕介氏による次の論文を見つけました。大変面白く読みましたのでご紹介します。

http://www.kier.kyoto-u.ac.jp/coe21/dp/91-100/21COE-DP098.pdf

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