2010年8月15日日曜日

伊藤和夫(1997)『予備校の英語』研究社

この本は、江利川春雄先生も高く評価されていますが、やはり素晴らしい本でした。予備校という「ホンネ」だけが通用する「泥臭い」世界(229ページ)で、東大哲学科時代はスピノザで卒論を書いた(240ページ)伊藤先生が、英語を学ぶ生徒と英語を教える自分自身を分析したこの本は、現実的で啓発的で読みやすい第一級の英語教育論です。「予備校」などとは特に関係なく、どこか軸足を失った現代日本の英語教育関係者(特に高校と大学)にとって必読の書とすらいえるでしょう。


この本で印象的だったのは、伊藤先生がとても現実的・具体的で、文部省の指導要領のずさんさを指摘しながらも、決して自分の業界のやり方である受験英語を礼賛せず問題点を分析した上で、大学の傲慢な怠慢もしっかりと指摘しているところです。


以下は、私なりにかなり歪めた上でこの本の要点をまとめたものです。引用ページは書いてあるものの、私なりの書き足しなどがたくさんありますし、何よりまとめかたが私の偏った視点によるものですから、本書に興味をもたれた方は必ずこの本をご自分でお読みください。この本には下の記述などでは到底語り尽せない豊かな内容があります。


以下、
1 指導要領はお題目に過ぎない、
2 だが受験英語にも問題点がある、
3 大学入試英文和訳問題にも問題点がある、
4 お題目でも受験英語礼賛でもない途を見いだすことが必要、

という順番で、私なりにこの本の一部を恣意的にまとめてみます。タイトルなどはほとんど私の言葉ですから、これらの表現を伊藤先生の表現と混同しないようにご注意ください。伊藤先生の主張をきちんと理解したい人は、繰り返しになりますが、必ずご自分で本を読んでください。




1 「まんべんなく英語力を伸ばす」はお題目に過ぎない

文部省が指導要領などで掲げる「英語のオールラウンドな力を伸ばすための教育」といった文言は、到達点を明らかに定めていない、精神論的な教える態度に関するものであり、教育上の目標ではない。(2ページ)



2 受験英語の問題点

受験英語は目標がしっかりしており、方法論の上でも引き継ぐべき優れた遺産がたくさんあるが、批判すべき点も多々ある。


2.1 英文解釈の「公式」は非体系的で非本質的

英文解釈の参考書中の名著とされる山崎貞の本(『新々英文解釈研究(復刻版)』)なども、英語表現の本質ではなく日本語への訳出の際に苦労する点を「公式」として示しただけになりがちであった(40ページ)。

つまり英文解釈の参考書は、結局は「こういう形はこう訳す」でけに終始し、訳は一例として提示して英語の構造と意味を納得させるという本質的な説明を欠きがちであった。(45-46ページ)


2.2 文法用語も非体系的に乱発された

高校の英語で英文法の時間がなくなり文法教科書がなくなって以来、学校文法は公の場での議論と切磋琢磨の場を失った。(60ページ)予備校や塾といった「ウラ」にまわった文法教育は、一部で新奇な文法用語の非体系的な乱立を招いてしまった。(58-59ページ)


2.3 過度に分析的な英文解釈法も逆効果

同じように学校英語の文法軽視の反動として、原仙作(『英文標準問題精講』)などの精緻な分析が過大評価され、一部で英文を過度に分析してしまう学習法がもてはやされてもしまった。(71ページ)


2.4 文法を公理ととらえる誤りに捉えられてしまっている

これらの文法教育の誤りは、文法説明は一つの考え方であり、そういう考え方をすれば多くの場合うまく英語が説明できるのであるということに気づかず(あるいはその論点を巧みに回避して)、文法説明をまるで幾何学の公理のように先験的に与え、それを英語のすべての表現に打倒させようとしたことにある。(71ページ)この誤った想定のためにいかに生徒と教師が悩んだかを知るには当時の英語雑誌のQuestion Boxを集大成した『クエスチョン・ボックス・シリーズ』を見ればよい。(72ページ)


2.5 しかし基本的な文法教育は必要

しかし外国語を学ぶためには、「言葉の言葉」である文法用語は基本的な範囲で必要である。(190ページ)



3 大学入試の英文和訳

英文和訳は大学入試には適しているが、数々の問題点があり、限界もある。


3.1 英文和訳は高等教育への適性を測ることができる

優れた英文和訳問題では、例えば因果関係の認識や「必要」と「有用」の区別といった高度な言語能力についてある程度の妥当な判断ができる。こういった能力の有無は、海外旅行での「会話力」などより、はるかに学校教育にとって本質的なことである。(91ページ)


3.2 大学側の怠慢が機械的で不自然な訳をはびこらせている

英文和訳を出題する大学が「採点基準とまではいかずとも、正解例、許容した答案例を公表するのは当然の義務」であるのに、大学はそれを怠っている。その結果、高校や大学では機械的(あるいは「公式的」)で不自然な日本語になる昔ながらの訳出法を「読みにくくてもこの訳のほうが大学入試では無難だ」と教えざるをえない。(84ページ)


3.2 高校・予備校教師も不自然な日本語に無自覚

しかしその開き直りに乗じて、一部の高校・予備校教師は「直訳」や「逐語訳」と称してでたらめな日本語を教室でしゃべり、ひどい場合には書き取らせる。これは英語理解に役立たぬばかりか、生徒の日本語感覚を破壊する蛮行である。(144ページ)


3.3 きちんとした翻訳を教える場がない

「日本語だけを読んでわからぬものは訳とは言えない」という基準は翻訳にとって不可欠だが、仮にこの基準を大学入試の採点で採択したとしても、こういった翻訳法は大学入試以前のどこでいつ誰が教えることになっているのかということが抜けている。(141ページ)


3.4 現実的には翻訳の質を入試で採点することは困難

大量の答案を公正に採点しなければならない入試で、受験者と採点者の間に英文の意味を日本語でどう表現するかについての「約束」が現実問題としてはある程度は必要だろう。(226ページ)


3.5 テストに対する現実的な割り切りが必要

なんとか教えることはできてもテストで測定することは不可能なことはある。それを無理にテストすることは、「重層的な薄明の領域を無理に黒と城で割り切ろうとする思考態度を学生に植えつけることとなり、学生の頭脳を硬くすることになって、無益であるのみならず有害である」。(145ページ)テストに対して現実的な割り切りが必要である。



4 「英語のシャワー」や「訳読こそが王道」を超える必要がある

たくさんの英語を速く読ませていればそのうち何とか英語力はつくというのは迷信であるが、さりとて旧来の訳読式が万能であるわけでもない。この神秘主義と訳読式の対立を超える新しい契機が必要である。(157ページ)


私なりのまとめは以上です。



最後に大学に勤める私にとって最も耳の痛い伊藤先生の言葉を引用します。この言葉を掲載することで私は英雄気取りをすることはできませんが、さりとてこのことばに頬かむりをすることもできないので、ここに紹介だけする次第です。

入試問題に対する解答例を公表せよという声があがってから久しいが、大学当局は拒否の理由すら明言せぬままほほかぶりを押し通している。倚(かた)よらしむべし知らしむべからず、というのは封建時代を象徴する言葉であるが、大学の頑冥な態度を見るとこの言葉を想起せざるを得ない。(中略)どうしてこうなるかを考えると、結局密室の中での欠席裁判、弁護人なしの一審制という中世的な制度に突きあたるのである。理性と批判に対し開かれた世界であることをもって存在理由とすべき学問の府が、何ゆえにこの問題に対してかくも閉鎖的であり続けるのか筆者には理解できない。(113-114ページ)



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イ・ヨンスク(1996)『「国語」という思想』岩波書店

十年以上ぶりにに読んだら、はたせるかな面白かったです。やはりこの本は、言語教育関係者必読の名著といえましょう。

以下、私の印象に残った点を私なりにまとめます。恣意的な選択ですし、私の書き換えも多く入っていますので、ご興味の方は必ずご自身でこの本を読んでください。


■近代国民国家的な「国語」の誕生
フランス革命の際のフランス語は「国語」(langue nationale)として「国民」(nation)の精神的統合の象徴となった。(iiiページ)

■「国語」から「日本語」へ
近代日本において「日本語」という地盤は確立しておらず、むしろ「国語」という理念が先行し、それによって「日本語」が徐々に確立していったといえる。(iiiページ)

■森有礼に関する通説
例えば時枝誠記は森有礼について「明治の初年に、森有礼が、日本語廃止、英語採用論を唱へ、アメリカの言語学者ホイットニーにたしなめられたことは、有名な話である」と述べているが、こういった見解が森に関する通説となった。(6ページ)

■森有礼の実際の主張
しかし森がホイットニーに対して実際に提言したのは、日本が「通商語」として英語を採用することが不可欠であるということであり、日本語の使用をやめるべきだとは一言も述べていない。(7ページ)

■森有礼の簡易英語論
森は実利主義に徹しており、彼は英語の綴りや動詞活用などの不規則性を正す簡易英語(simplified English)を提案した。(8ページ)

■ホイットニーの反論
森に対するホイットニーの反論は主にこの簡易英語論に対するものであった。(9ページ)

■日本の言語状況に対するホイットニーの意見
ホイットニーは、「土着の言語」である日本語による教育こそが日本の社会的文化的発展にとって必須と述べているが、そのためには日本語をローマ字化し、さらには「日本で中国語のしめていた地位を英語にゆずり、英語を学問語、古典語(the learned tongue, the classical language)にする」よう提案している。つまり中世におけるラテン語やイギリスの植民地における英語の地位を日本においても英語にもたせるべきだとホイットニーは主張した。(9ページ)

■森有礼の日本語廃止論
森が日本語の廃止について述べたのは『日本の教育』の序言であり、そこで彼は、西洋の学問、芸術、宗教から学び、日本の国家の法律を保持するためには「日本の言語」(the language of Japan)では不十分だと述べている。(10ページ)[ちなみに森はこれらの文章を国外で英語で書いている]

■森有礼にとっての「日本の言語」
森が「日本の言語」として捉えたのは、日本語と中国語の無秩序な混合状態であり、また話しことばと書きことばの間に絶望的な隔たりがある状況であった。(11ページ)森の時代の「日本の言語」はまだ近代的に成熟していなかった。

■馬場辰猪の森批判
『日本語文典』とも通称される、おそらく日本最初の記述的体系性をもった日本語の文法書An Elementary Grammar of the Japanese Languageを書いた馬場辰猪は、森を批判し、英語の強圧的な導入は言語の壁により国内に社会階級の分裂をもたらすだろうと説いた。(14-17ページ)

■近代的書きことばを持たなかった明治初期の日本
しかしその馬場でさえ、日本語は話したが、書くのは英語だった(21ページ)という事実が端的に示すように、その頃の日本には近代文明を表現できる書き言葉が育っていなかった。(22ページ)

■言文一致の必要性
漢文訓読体から脱却し、近代的な書きことばを創り上げるには、聞いても読んでも誰でも同じように理解できるという「言文一致」の理念と、その理念に基づいて実際に言文一致の言語を創り出すための冒険が必要だった。二葉亭四迷は、思うように文章が書けないとまずロシア語で書いてからそれを口語日本語へと逆翻訳したというが、これもそういった言文一致の日本語を創り出すための試行だったのかもしれない。(22ページ)

■「国語」の二つの課題
やがて日本語は「国語」として結実し始めるが、その「国語」とは、言文一致をはたし、かつ「国体」イデオロギーにつながる国家的意識を確立するという二つの課題を担うこととなった。(23ページ)

■言文一致と社会変動
話しことばと書きことばの不一致が急に問題になったのは、一つにはそれまでの社会秩序が崩壊したからともいえる。武士階級と知識人の文化語であり行政語であった漢文あるいは漢文訓読文が、民衆のうえにふりかかったきたからである。(47ページ)

■福沢諭吉の文体
福沢諭吉が著作で用いた「世俗通用の俗文」は国民的コミュニケーションのための画期的な発明であったともいえる。(48-49ページ)

■国策としての言文一致
1900年(明治33年)に帝国教育会は、「言文一致会」を発足させ、言文一致を国家の言語政策のなかにとりこんだ。(66ページ)後には、言文一致が国家・国運・国勢を左右する国家事業としてとらえられた。(70ページ)

■「国語」の理念は明治20年代を土壌としている
明治10年代が自由民権運動と欧化主義の時代とすれば、明治20年代は日清戦争(1894-95年/明治27-28年)を頂点とする官民一体による統一的「国民」の創出と「国家」意識高揚の時代であったといえる。国語の理念はそういった背景に育まれた。(86
ページ)

■「国語科」の設立は明治20年前後
中学校においてそれまでの「和漢文科」が「国語及漢文科」になり、師範学校で「国語科」が設立されたのは1986年(明治19年)の学校令による(文部大臣は森有礼)。帝国大学において「和文学科」が「国文学科」に改称されたのは1889年(明治22年)。(87ページ)

■上田万年とドイツ留学
上田万年は国語改革に大きな影響を及ぼしたが、それには彼のドイツ留学(1890年明治23年から)が大きな影響を与えている。
19世紀前半のドイツではフンボルトの創設したベルリン大学に象徴されるように、古典主義と人文主義が教育の指導理念とされていた(111ページ)、上田が留学した頃はちょうど青年文法派が進出し、科学的言語学によって古典語以外の言語にも古典語と同等の研究対象としての価値が認知されはじめていた頃だった。(110ページ)。1890年に国王ヴィルヘルム2世は「ドイツ語をギムナジウムの教育の基礎としなければならない。われわれは若いドイツ国民を教育すべきであって、若いギリシャ人やローマ人を教育すべきではない」と述べた。(112ページ)。

■上田万年の言語観
上田は帰国後、明らかな国家的意識をもって言語を捉える。彼の次の発言などは近代日本の<国語>イデオロギーの特徴をよく表している。
言語はこれを話す人民に取りては、恰も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、精神上の同胞を示すものにして、之を日本国語にたとえていえば、日本語は日本人の精神的血液なりといひつべし。日本の国体は、この精神的血液にて主として維持せられ、日本の人種はこの最もつよき最も永く保存せらるべき鎖のために散乱せざるなり。(122-123ページ)

しかしその当時まだ「言文一途[ママ]の精神を維持し居る国語」は確立していなかった。(141ページ)

■規範としての学問
上田にとって客観的現実の分析は手段に過ぎず、国語はなによりも規範設定を目的とする学問であった。(148ページ)上田(および彼の後継者の保科)の特徴は、客観的立場からの言語の記述と説明が、いつのまにか規範設定の論理になっていくことであった(224ページ)

■保科孝一
上田万年の門下からは、新村出、小倉進平、金田一京助、橋本進吉、藤岡勝二、岡倉由三郎などが出たが、言語政策と言語教育で上田の仕事を引き継いだといえるのは保科孝一である。(162ページ)

■保科の留学
保科は1911(明治44)年-1913(大正2)年にヨーロッパに留学するが、そこでボーゼン州におけるポーランド人の「ゲルマン化政策」(同化政策)を学ぶ。このドイツ社会とポーランド人の関係は、後日、日本と挑戦の関係と二重写しになる。(230ページ)

■ゲルマン化政策での言語政策
ゲルマン化政策においては、公用語、裁判語、軍隊語、教育語としてポーランド人にドイツ語を使わせた。中でも教育語としてのドイツ語採択が最重要視された。(238ページ)

■皇民化政策での言語政策
1937(昭和12)年には日本の植民地支配のクライマックスとして皇民化政策が実施され、すべての植民地異民族を「皇国臣民」へとつくりかえることが至上命令とされた。(245ページ)

■「朝鮮語及漢文」
1911年(明治44)年の朝鮮教育令にはたしかに「朝鮮語及漢文」という科目があったが、実際には漢文のみが、あるいは漢文解釈のたんなる補助手段としての朝鮮語が教えられたにすぎなかった。この科目は「国語」教育のための補助手段であった。(252ページ)

■「教化意見書」
1910年(明治43)年に作成された内部資料の「教化意見書」は、大日本帝国が世界の国々は類例のない「無比ナル国体」にもとづいているという前提から始まり、その「国体」は「万世一系ノ天皇ヲ戴ケル日本帝国民ノ忠義心」により支えられているとしている。(256ページ)

■植民地支配における「国語」
日本が自然主義的「国体」概念に固執すればするほど、異民族の「同化」はそもそも不可能に思えてくる。(260ページ)しかし、<内面>と<外面>、さらに<自然>と<人為>を媒介する言語(国語)を学ぶことによって同化は可能とされた。(261-262ページ)

■満州国での言語政策
だが実際の言語政策は具体的とはいえず、多民族国家である満州国でも公用語は何語かが法的に定められることはなかった。(265ページ)1939(昭和14)年の国語対策協議会では、植民地からの国語教育担当者から、アクセント、発音、語法、語彙などすべての面で「標準語」が定まっていないことに不満が集まった。(293ページ)

■結び
近代日本の「国語」は脆弱であり、植民地どころか国内でさえ、一貫した言語政策を打ち立てることはできなかったといえる。(311ページ)




私の勝手なまとめは以上です。以下は蛇足で、私見を述べます。


○私たちが現在「日本語」と信じて疑わない、書きことばに基づきながらも話しことばとしても通用する言語を創りあげた明治の先達はやはりすごかった。

○「日本語」を創り上げる際に、それまでの漢文調の言語教養と江戸の話し言葉、加えて、新たな外国語からの翻訳活動が大きく関与したことは、漱石の文体を見ても明らかだろう(参考『漱石の漢詩を読む』)。日本語は、伝統に基づきながら、新しいものを取り込むことによって創造された。

○この「日本語」の創成という観点から明治の文章を通時的・体系的に読んでみたら面白いだろう。(老後の楽しみね。笑)

○しかしその「日本語」が、民衆自身が生み出す書きことばや話しことばにまでなったかというのは別問題であり、これは現在にいたるまで学校教育の大きな課題となっている。「きちんとした日本語」が書け、話せるようになることは学校教育の一つの大切な目標である。

○だが現在の学校教育に対して悲観論を述べれば、学校教育関係者の言語的自覚が足りず、日本語が新たな概念(自然科学・社会科学・人文学)を表現できる力を開拓しているかどうかが疑わしくも思えてくる。私が言いたいのは「知識人層」の安易なカタカナ語使用である。

○個人的には、(名指しをして悪いが)日本語教育関係者が平気で「シンタックス」「アスペクト」「プロフィシェンシー」などのカタカナ語を使うことに怒りさえ感じている。日本語教育関係者は日本語の将来に対してどのような考えをもっているのだろう。(この話は長くなりそうなので、ここでやめる)。

○植民地政策においての言語政策は「日本語は日本人の精神的血液なり」などという感情的な理念ばかりは立派だったが、その理念が何に帰結するのかという概念的分析が欠けていた。おそらくはその結果として、言語政策はおよそ具体的でなかった。この感情的訴え・概念的分析の貧困・具体性の欠如は、先の大戦においてのみならず、現代の政策にも見られる日本の特徴の一つである。

○これから日本国が、日本語をどう創造(自己再生産)してゆくのかというのは、日本の言語教育の根本的問題の一つであろう。

○明治以降から近年までの「英語」は日本語の創造に関与していた。「英語」は単なる"English"ではなく、日本の教育制度の中の一教科であった。昨今は言語教育関係者に米英で教育を受けた者がますます多くなっているせいか、「英語」を単に"English"の普及としか考えないように見受けられる場合もあるように思う。これでよいのか。反動的な国粋主義に陥ることなく、ポスト近代の言語教育を総合的に考える必要があるのではないのか。


愚見はとりあえず以上です。


ともあれ歴史的な事実を知り、そこから考えるためにはとてもいい本です。ぜひお読みください。


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2010年8月14日土曜日

ジェレミー・マンディ著、鳥飼久美子監訳(2009)『翻訳学入門』みすず書房

翻訳についての研究(translation studies)の幅広さを知るためには格好の本かと思います。私自身、自分の無知がよくわかりました。反省。

恣意的にこの本をまとめますなら、第二章では20世紀以前の翻訳論(「逐語訳」(word-for-word)か「意味対応訳(sense-for-sense)かの二項対立、あるいは「直訳」(literal)、「自由訳」(free)、「忠実な訳」(faithful)の三つ巴)(28ページ)などが取り上げられます。

第三章では20世紀翻訳論の代表として主にナイダ(Nida)の「形式的等価」(formal equivalence)と「動的等価」(dynamic equivalence)などの考えが取り上げられます。この新しい対立により、従来の「逐語訳/直訳」対「意味対応訳/自由訳」の対立からは見えにくかった、「翻訳作品の読者への効果」あるいは翻訳作品の担う「機能」という観点が現れてきます。従来「意味対応訳/自由訳」と捉えられてきて翻訳が、読者への効果・機能をうまく再現する翻訳として捉えられ始めます。


(1)形式的等価:形式的等価は形式と内容両面においてメッセージ自体に注意を集中する[・・・]。受容言語におけるメッセージができるだけぴったりと起点言語の様々な要素に一致するよう注意する。(Nida 1964a: 159) (65ページ)
(1) Formal equivalence: Formal equivalence focuses attention on the message itself, in both form and content... One is concerned that the message in the receptor language should match as closely as possible the different elements in the source language. (Nida 1964a: 159) (Locations 1,462-1,562 in Amazon Kindle version)

(2) 動的等価:動的等価あるいは機能的等価は無いだのいわゆる「等価効果の原理」に基づくものである。ここでは「翻訳の受容者とメッセージの関係が原文の受容者とメッセージの間に存在した関係と実質的に同一でなければならない」(Nida 1964a: 159)。メッセージは受容者の言語的ニーズと文化的期待に合わせなければならない。そのようにして「表現の完全な自然さを狙う」のである。(65-66ページ)
(2) Dynamic equivalence: Dynamic, or functional, equivalence is based on what Nida calls 'the principle of equivalent effect', where 'the relationship between receptor and message should be substantially the same as that which existed between the original receptors and the message' (Nida 1964a: 159). The message has to be tailored to the receptor's linguistic needs and cultural expectation and 'aims at complete naturalness of expression'. (Locations 1,545-1,562 in Amazon Kindle version)


ちなみに、ニューマーク(Newmark)はこのナイダの用語を不服とし、「意味重視の翻訳」(semantic translation)と「コミュニケーション重視の翻訳」(communicative translation)という用語を提唱します(68-69ページ)が、私は正直これらの用語は同じようにしか思えませんでした。

第五章では、翻訳を機能の観点からとらえる翻訳論の発展として、単語や文ではなくテクストをコミュニケーションが達成されるレベルとしたライス(Reiss)(111ページ)、翻訳を「翻訳行為」(translational action)と考えるホルツ=メンテリ(Holz-Maenttaeri [ごめんなさい本当はウムラウト表記です])(119ページ)、翻訳をあくまでもその目的(ギリシャ語で「スコポス」(skopos))から考えるべきだとしたフェルメール(Vermeer)のスコポス理論(skoposo theory)(122ページ)などが取り上げられます。

第七章では、(文芸)翻訳作品を文学システムの中で捉え、文学システムを「他の秩序と絶えざる相互関係にある文学的秩序の諸機能からなるシステム」(a system of functions of the literary order which are in continual interrelationship with other orders)(Tynjanov 1927/71:72)とするイーヴン=ゾウハー(Even-Zohar)の多元システム理論(polysystem theory)などが取り上げられます(167ページ)。

さらに第八章ではカルチュラル・スタディーズやポストコロニアル翻訳理論などに触発された翻訳論の「文化的・イデオロギー的転回」(cultural and ideological turns)、第九章では翻訳者の役割についての倫理的および社会学的考察、第十章ではスタイナー、ベンヤミン、デリダなどの哲学的翻訳論が概説されます。

第十一章では新メディアからの新たな方向性がまとめられていますが、残念ながら昨今の急速な機械翻訳などについては触れられていません(原著の発刊は2008年)。

翻訳論の広がりを理解するには格好の一冊かとも思います。



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【個人的主張】私は便利な次のサービスがもっと普及することを願っています。Questia, OpenOffice.org, Evernote, Chrome, Gmail, DropBox, NoEditor