通称「JOPT科研」 (Japanese Oral Proficiency Test) が開催するシンポジウム「会話×コミュニケーション×評価」(2015年3月26日(木)13:00-17:00 筑波大学・東京キャンパス:丸ノ内線茗荷谷駅より徒歩2分)で、90分の講演をさせていただく機会を得ました。
最近の私は仕事が滞りがちで、せっかく講演のお誘いを受けても辞退させていただくことが多いのですが(依頼者の皆様、ごめんなさい)、今回は、依頼意図をとても明確かつ丁寧にご説明していただき、私もその意気と意義を強く感じましたので、謹んでお受けさせていただきました。お受けしたからには、できるだけいい講演にしようと思っています。
下記の要旨をお読みになってご興味を持たれた方は、さらにその下に掲載したJOPT科研のホームページからお申込みをお願いします(入場は無料ですが、事前申込みが必要です)。
■ 演題: テストとは受験者と試験者を共に試すもの ―言語熟達度評価の歴史-共同体性について―
■ 要旨: この講演では、「わかる」・「できる」・「会話テスト」の三つのトピックを原理的に検討します。
「わかる」とは何かという問いは、「意味」とは何かという問いと直結します。講演では神経科学のA.ダマシオと哲学のJ.デューイに基づき、意味の身体性と生活世界性を確認した上で、哲学のJ.L.オースティンと社会学のN.ルーマンの議論を翻案して、表の意味・裏の意味・全体的意味という用語でコミュニケーションのプロセスを説明します。説明により、意味のどの側面においても参加者それぞれの自己参照(自己準拠)が関わることを明らかにし、「できる」の検討につなげます。
「できる」という概念は、そのまま能力概念につながりますが、講演では言語学・言語哲学のチョムスキー、デイヴィドソン、ハイムズ、ヤーコブソンのコミュニケーション論を概括した上で、コミュニケーション能力は個人還元も標準化もできないことを論じます。
「会話テスト」の検討においては、言語再生 (language reproduction) と言語使用 (language use) の区別をした上で、会話のテストは言語使用のテストであるべきと論じます。会話での言語使用の様子によって言語熟達度を判定する会話テストは、その言語の歴史-共同体性に基づく観察といえますが、その観察をさらに観察(二次観察)することより、判定者がその言語の歴史-共同体性をどのようなものとしてみなし・みなそうとしているかが露わになります。テストという観察を、二次観察することにより、テストという制度的権力創成の試みは、より「客観性」を高め、権力が民主化すると論じます。
短い字数で講演内容を要約すれば、このように抽象的でやや難解な表現になってしまいますが、講演ではできるだけわかりやすく、具体的にお話するつもりです。当日はスライドを投影しますが、印刷しますと大部になりますので、会場で印刷媒体で配布することはしません。講演当日までには、ブログ(http://yanaseyosuke.blogspot.jp/)にスライドをアップロードしておく予定なので、講演前あるいは講演中にダウンロードしていただければ幸いです。
JOPT科研
基盤研究(A)
日本語会話能力テストの研究と開発:
国内外の教育環境及び多文化地域社会を対象に
シンポジウム2015「会話×コミュニケーション×評価」
http://jopt.jpn.org/p5.html
基盤研究(A)
日本語会話能力テストの研究と開発:
国内外の教育環境及び多文化地域社会を対象に
シンポジウム2015「会話×コミュニケーション×評価」
http://jopt.jpn.org/p5.html
追記 (2015/03/24)
講演でのスライドと配布資料をダウンロードできるようにしました。
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/03/jopt.html