昨日で四日間の集中講義「言語と社会」を終えることができました。少人数でしたし、討議の時間もかなりもったので、私自身大変に楽しむことができました(ただ、終わってみると自分が自覚している以上に随分疲れていたみたいで、今朝は寝坊してしまいました)。
にも書いたように、単純化するなら"the rationalist cognitive dominated approach versus the socially sensitive and engaged, postmodern approach"の論争をまとめたDavid Blockの
F. Scott Fitzgeraldのことばも何度も述べました。
他にも「アクセルとブレーキ」のたとえも何度も使いました。究極の速さを求めるために、重いブレーキ装置を取り払ってしまった車があるとすれば、そんな車では、怖くてとても速く走れません。アクセルとブレーキは相互矛盾の関係にありますが、その矛盾があるからこそ速く走れるわけです(また効果的に止まれるわけです)。運転とは、アクセルとブレーキという相互矛盾する機能の巧みな使い分けです。
もし単純な頭の持ち主が来て「アクセルとブレーキのどっちが大切なんすか?オレ、教えられたらそっちばっか使いますんで、どっちかバッチシ教えてください!『両方の使い分けが大切』なんてわけのわかんないこと言われても困るんすよね。だいたい、ヤナセ先生は、きっちり『これだけやればいいんです』って、ホーホーロンってゆうんすっか、そんな感じのこと言ってくれないんで、オレ的には不満なんっすけど」などと言ってくれば、私は苦笑いするしかありません(機嫌が悪ければ首を絞めます(笑))。
今回の集中講義でも私はいつものように学習指導要領の批判もしました。しかしそれはもちろんのこと、指導要領の完全否定でもなく教条的な反抗でもありません。「文科省の言うことはすべて間違いだ!」などと叫ぶのは、「文科省の言うことに間違いなどございません」としたり顔で言うことと同様、およそ愚かなことです。指導要領とて金科玉条ではなく、10年すれば制度的に改訂されるべく定められた基本方針に過ぎません。ならば現行の指導要領を尊重しつつも、その中の問題点を具体的に考えてゆくことこそ知的に誠実な態度だと思います。
この本のテーマである、個人の脳内で完結する認知主義と、個人を超えた関係を重視する社会的アプローチは対立関係にあります。「指導要領を一も二もなく忠実に実行する」という態度と「指導要領について批判的に考え主体的に行動する」という態度は矛盾関係にあると言ってもいいでしょう。しかし私はそれらの対立や矛盾を、無理やり解消させようとせずに、自らの中に組み込むことが大切だと考えています(考えてみれば、これは20歳代の頃から私の信念でした)。
」です。これは、「中庸」と言ってしまえば、そうですが、決して「足して二で割った」ような中庸ではなく、対立する観点を往復運動することの中で初めて現れるような中庸かと思います。
というより、これは、マルクスへの関心から私が最近読みなおした柄谷行人の『トランスクリティーク――カントとマルクス』の、まさに「トランスクリティーク」ということばで表現した方がいいのかもしれません。(今回の再読は、マルクスについて少し勉強したこともあり、非常に実りのあるもので、私はこの本の英訳版も注文しました。この思想を英語で経験すればどうなるだろうと思ったからです。また、この本に影響されて、今、カントの『純粋理性批判』を毎晩就寝前に読んでいます(長谷川宏先生の翻訳は本当にありがたいです)・・・にしてもオイラ、影響を受けやすいなぁ(爆)。
とはいえ、現代日本の資本主義的発想の跋扈は、有力な対抗言説を欠いているせいか、憂慮すべきことだと考えています。対立する相手、相矛盾する相手を欠いた思想が問答無用に人々を縛る時、それはもはや
でしょうし、もしその思想・イデオロギーが社会のあらゆる側面を支配するなら、その社会は全体主義社会と呼ばれるのかもしれません(私は全体主義についてきちんと勉強したことがありませんので、この用法には自信がありませんが・・・)。
たまたま、この集中講義と重なった時期に、江利川春雄先生がブログで「格差に抗し,全員を伸ばす英語教育へ」という連続記事を書いておられました。その第三回では、次のように書かれています。
「ちょっと待って下さいよ。それのどこが悪いんですか?わけがわかりませんね。財界の要望を聞き入れるな、って仰るんですか?」と、<やれやれ、これだから世間知らずは困る>という表情を示しながら反論する方もいるかもしれません。
いや、私も別に経済活動をすべて否定しようなどとは思っていません(てか、私には農業して自活する土地も技術もないから、お金がないと暮らしていけないしw)。ただ、教育界が経済界の下請けとして単なる「人材」の供給所になってしまうことが怖いわけです。教育も社会の中の活動である以上、経済と無縁ではいられませんが、教育には教育の論理があるわけです。その教育の論理が侵食され否定されてしまっては黙っていられない、ということです。
言い方を変えれば、人間には資本主義的な生き方と、資本主義から離れた生き方の両方があります。前者の例は商品の生産と消費、後者の例は家族・友人とのだんらんや個人での楽しみ、つまりはお金に換算できない活動、となりましょうか。その両方があってこそ、近代社会で人間は人間らしく生きられるかと思います。
だからこそ、資本主義的発想の言説と対立・矛盾する対抗言説を学び(あるいは学び直し)、両者をそれぞれに相対化すること、つまりは資本主義的発想の絶対的肯定も絶対的否定もしないようになることが重要だと私は考えます。
今回の講義ではBlockの本に示された議論を中心としつつも、'phatic communication'の話題からヤーコブソンを出したり、最終日までにはほとんどテキストの概観を終わっていたので、隠し玉であった「『商品』という観点から考える日本の英語教育』も語ったりとしました。
学生さんも楽しんでくれたのではないかと思います。以下は、講義最終日に学生さんが出した課題です。私としては「授業を受けて自分なりに感じたこと、考えたことを適宜まとめてください。長さの指定などは特にしません」という指示だけ出していました。非常に短い時間の間に、学生さんがそれぞれに自分の考えをまとめてくれたので以下に掲載します。単位不要で聴講してくれた院生は除く、全員の学部生のレポートです。中には「まとめる時間が少なかったので、自分としては納得できていません」と添え書きしていた学生さんもいますが、私は短時間によくまとめてくれたと思っていますので(←親バカ状態)、ここに転載する次第です。
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「学び」と「コミュニケーション」から考える、英語教師が持つべき視点
YK
1. 「学び」とは
「学び」とは何か、単純な言葉ですが様々な切り口から見ることでいかようにも捉えられます。SLAの分野ではその歴史変遷から、言語習得過程において学習者の中で何が起こっているか、学習者個人の中で習得・学習はどのように起こるのかといったことを解明することに研究目的の比重が偏っています。しかし、言語習得の起こる要因とはそれだけではないのではないか、一般化を求めてそぎ落としていったものに目を向けることが必要ではないのかという批判も生まれています。そのひとつが、より社会的な側面、すなわち他者との関わりや周囲の環境が習得・学習に影響を与えるといったことを蔑ろにし過ぎているではないかというものです。自らの経験と照らし合わせてみても、人の影響を受け、やりたいと思って始めたことが自分の身についていることは多々ありますし、機械的に学んだものはどこか頭の隅にあるもので、自分の核として存在しているわけではないと感じています。
1.1 「学び」のための教師の役割
教師を志すものとして、生徒に最も「学び」を与えることができるのは教室内の授業であるという考えが私の中に深くあります。この考えは大きく外れていないでしょうし、完全に正解ということもないと思います。今回の講義を通して、「学び」が起こる環境とはどういったものなのか、教師はどう振る舞い、生徒と関わりを持つべきなのかということを考えました。「教え込む」ことしかしない教室では教師の言葉というものは生徒にとって外吹く風の音となんら変わらない、単なる記号となってしまいます。生徒がその記号から何かを得ようと動機付けされている集団ならまだ話は深刻でないかもしれませんが、多くの学校で「教え込み」による「学び」は実現されるでしょうか。少なくとも私は簡単にYesとは言いきれません。
私は現時点で、教室内における「学び」とは、学ぶ対象と生徒たちの現実をつなげることによって初めて生まれるものだと考えています。「学び」の定義づけはとても難しい作業ですが、いわゆる「腑に落ちる感覚が生まれること」と捉えられないでしょうか。教科書に書いてある記号(英語・日本語でも構いません)が意味することを頭で理解し、それと自分との関わりを体で感じて「あぁ、そういうことか。」と生徒が納得するということです。そこで教科書と生徒の媒介として存在するのが教師であり、いかように伝えるかが教師の力の試されるところでしょう。
1.2 英語教師の場合
英語教師に特化して考えると、学習指導要領の目標を拝借するならば、コミュニケーション能力の育成が教科としての最終目標といえます。その過程でまず英語という記号とその意味を理解させることはもちろん必要でしょうし、実際にコミュニケーションを行わせることも必要です。ではこれらを機械的に教え込むことが生徒の「学び」にとって有益だと言えるのでしょうか。ただSLA研究の心理言語学の視点からよいとされている理論の下指導を行えばよいのか、コミュニケーション能力を育むために英語教師が持つべき視点とは具体的にどのようなものなのか。今回のレポートを通じて考察を加えたいと思います。
2. コミュニケーションとは
講義で扱ったコードモデルとヤコブソンのモデルから、コミュニケーションを捉え直すことで、授業における教師の立場と役割を再認識していきます。
2.1 コードモデルから見たコミュニケーション
① 話者によって伝えたい考えなどのメッセージが言語というコードに込められる。
② 言語が音声として話者から発話され、空気などのノイズを通して聞き手に到達する。
③ 聞き手は受け取った言語から話者のメッセージを読み解くことで情報を得る。
このコードモデルを極端に体現した授業の一例として、教師が教壇に立ち、教科書の英文を読んで訳して板書をするだけの授業が挙げられます。教師が何らかの情報を発していればそれはメッセージとして生徒に伝わり、理解してくれるという考えです。しかしこの方法を実際の公立学校での授業で取り入れると、生徒の大半を睡眠に陥れかねません(私もこのような授業を受けてきましたが、授業が午後の場合、睡眠学習の打率6割は固かったです)。実際のコミュニケーション場面でメッセージがしっかり聞き手に伝わるというのは、コードモデルの枠組みほど単純ではないからです。
2.2 ヤコブソンのモデルから見たコミュニケーション
・addressor (emotive)による呼びかけ。語り手は「送信者」としてだけ振る舞えばよいわけではなくて、自らの情動(emotion)を表現しつつ呼びかける。
・addressee (conative)による応え。聞き手は、語り手による情動表現に「応え」、動かされる。
・contact (phatic)をとる。語り手と聞き手の間に交際的な出会いが成立する必要がある。例:アイコンタクトが成立しているかどうか。
・message (poetic)を作品化させる。口語ではあまり見られないが、書き言葉ではメッセージをより際立たせ、印象付けるためによりよい表現を模索する。
・context (referential)の影響。メッセージが指し示す具体物だけでなく、その具体物と関連している広がりと深まりも指し示しうる。
・code (metalingual)の共有。語り手と聞き手の間でのcodeの共有は必ずしも十全ではないのでコードの解説が行われる。
学校とは人間が集団生活する場ですから、人と人との出会いは必ず起こります。そこでは円滑な人間関係を維持するためであったり、コミュニケーションを始めるためであったりと様々な目的でphaticなやりとりが存在しています。日本の学校では、それらのほとんどが日本語という共通のcodeを用いており、日本語でのコミュニケーションの方法を日常から学ぶための指導もなされているはずです。例えば、私の高校では、職員室に入る前に、「失礼します。○年○組のです。○○先生に用事があって来ました。」と言うことを徹底させられます。これは少し機械的な教え方かもしれませんが、このことによって、コミュニケーションの発信者として目上の人と関わりを持とうとするときのphaticな一面が大なり小なり身についたかと思います。では英語でのコミュニケーションにおける、こういった学びを授業内で実現するために教師が持つべき視点とは何なのでしょうか。
3. 英語教師が持つべき視点
コミュニケーションを目標とする外国語科において、教室内で生徒とのコミュニケーションを取らずに教師主導で授業を展開することに矛盾を感じます。ヤコブソンのモデルとコードモデルの決定的な違いは、contact(出会い)という概念がヤコブソンのモデルに存在することです。
このモデルの中でも特に取り上げたいものが、emotive・phaticです。
まずemotiveについてですが、教室内での教師と生徒間のやり取りをコミュニケーションとして捉え、コミュニケーションを成功させることが生徒の学びを引き起こす一手段とすると、まず教師は教科書に載っている教えるべき内容(message)を語り手として情動的(emotive)に伝える必要があります。情動的に伝えるためには教師自身がその教材の内容にメッセージ性を見出さなければなりません。その方法の一つとして教材研究の充実が挙げられます。Codeである英語の語彙や文法に関する教材研究も必要ですが、ここでは題材の話題に関する教材研究を取り上げたいと思います。教科書に載っている情報の歴史的背景や人間ドラマなど、掲載されている英文以上の情報を教師が知ることで題材の深い面白みをメッセージとして込めることが可能になります。また、それが生徒にとって身近なものにまで発展出来れば、生徒の現実と教材を関連させることになるので「学び」はより深まると考えられます。また、現在のトレンドである推論発問を用いることでも題材について思考を巡らせることになり、生徒と教材の距離を縮めることにつながります。そのためにはやはり教材研究、という事になるでしょう。
発信する準備が整えばemotiveに伝えるための工夫が必要です。それは教師の英語のイントネーションであったり、注意を引く間であったりすると考えています。生徒のphaticについては、柳瀬先生にご指摘を受けたように、英語でのphaticの表現方法はある程度教えることも必要であると考えます。しかし、ある程度授業を英語で行い、生徒と目を合わせてコミュニケーションを図る教師の姿勢を見せることで帰納的に生徒が学習する側面もあります。しかし、帰納的に学習させるだけの「聞く姿勢」を生徒に持ってもらうためには教師と生徒の強い信頼関係や教師の英語への憧れを持ってもらうことが、時間はかかっても一番の近道であると考えます。となれば授業外でも日常的な生徒とのcontactの積み重ねや、教師の非常に高度な英語力が求められるので、どのような授業の議論でも信頼関係・英語力は必要条件であるのだと再認識しました。
教室内での生徒の学びを育むために教師のもつべき視点として、行き着くところはよく言われるような、教材研究の重要性・生徒との信頼関係の構築、英語力となりましたが、今回は2つのコミュニケーションモデルという新たな視点から考えることで、自分の中の切り口が増えたように感じます。
4日間の授業で、現在の教育システムや歴史的背景としての哲学を垣間見ることで広く深い視点が必要だと強く感じました。これからの勉強に役立てたいと思います。ありがとうございました。
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教師に求められるもの ― “Information”の観点から
KR
1.教室内における教師の立場・意識
このレポートでは、Batesonのinformationの定義と、Jakobsonのコミュニケーション・言語の枠組みを踏まえたい。また、その上で、教師の使命・立場について再考したい。
しばしば、教師は「教え込むこと」に偏重してしまうことが多いと考える。例えば、「all Englishで授業を展開すれば、生徒のinputが格段に増え、彼らの学力は飛躍的に上昇する」といった考え方である。教師が教えたものが問題なく生徒に刷り込まれる環境(例えば、学習に対する生徒のモチベーションが非常に高く、生徒が受け取れる姿勢が完成しているような進学校など)であれば、生徒の学力の向上には効果があるかもしれないが、現実はそのような学校ばかりではない。
その偏った考え方は、結果的に生徒の学びを見えなくさせてしまっているのではないか。
2.1 Batesonのinformationの定義
BatesonはInformationを「他人の中に変化を生み出す変化」と述べている。つまり、発信者(発信物)が何かしらの変化を発した際に、受信者の中で変化を生じさせるものがinformationである。言い換えると、どんな発信も、受信者内で変化が起きなければ、それはinformationとならない。
例えば、夏である現在、セミの鳴く声は非常にうるさく、非常に大きな音を発信している。非常に大きな音であるにも関わらず、私達は意識しないために受信者に変化を起こさない。この点で、セミの鳴き声はinformationに成り得ない。しかし、「夏らしいね。」という発言の直後に、タイミングよくセミが鳴くとどうだろうか。この場合は、私達の中で「まさにそのとおりだ」とか様々なことを考えさせるきっかけとなる場合が考えられ、受信者に変化を起こす。セミの鳴き声はinformationとなる性質を手に入れた。
これを教室で考えてみるとどうだろうか。教師が発信する教授内容はinformationとなるためには、生徒の中に何かしらの変化を起こさなければならない。言い換えると、教師が何を発信しようとも、それが生徒の中で変化を生み出さなければ、教師はinformationを発していないことになる。教師が「発信する内容」だけに着目し、生徒の中での変化を配慮しなければ、教師が授業で発した内容は効果的に教授されないだろう。
教師は生徒の中で変化が起きているのかを軽視してはいけない。生徒の変化を軽視した授業は、生徒の自主的な参加により成功が委ねられてしまい、下手をすれば教師の言葉は情報という性質を失い、空回りしてしまう。指導要領の改訂で、「英語は英語で」という言葉を元に、授業をall Englishで行うことが求められている。もちろん、教師が誤った英語をしゃべることは好ましくない。が、このような状況では、教師は自分の発信する英語に意識が集中し過ぎてしまうかもしれない。all Englishで授業をするのであっても、自分の発信に加え、生徒の変化を意識する必要があるだろう。
2.2 Jakobsonのコミュニケーションモデル
単純に「アンテナを張り、生徒の変化に気づく」と言っても、生徒の変化を起こすことは簡単ではない。発信者と受信者との間には、どのような関係が存在するのだろか。Jacobsonのモデルで考えてみる。以下はそのモデルを図示したものである。
このモデルによると、発信者(Addresser)は、出会い(Contact)という相互関与上で受信者(Addressee)と意味上のやり取りを行う。言語はこの出会いという土台の上で交わされるCodeに当たり、発信者と受信者の意思伝達のための媒介となる。そして、出会い(Contact)は、交わされる言語(Code)以外にも様々な要素に支えられていることを忘れてはならない。コミュニケーションは意思伝達のためだけの、無味干渉なCodeだけの世界ではない。発信者は受信者との出会い(Contact)を維持・発展するために、無数の語彙の中から、最も相手に影響を与えるフレーズを選択する、または、様々な表現様式を選択する。これがMessageにあたる。このメッセージは周りの環境(Context・Situation)により制限され、決定される。ここでいう外部環境は、話者を取り巻く環境だけではなく、発話者と受信者それぞれの背景知識や、今までの経験全てまで指す。
コミュニケーションは言語以外の外的要因に影響を受けている。発信者は受信者との出会い(Contact)を維持・発展するために、言語(Code)以外にも、様々な環境・状況の上で選択されるMessageを考えなければならない。仮に発信者がMessageへの注意を欠いてしまった場合、受信者との出会いの維持は困難となり、コミュニケーションは円滑に行われないことがある。ある発信者が話している言語には問題が無くとも、その話者がMessageという言語選択を怠った場合、受信者は彼の味気ない表現に対し、注意を注ぎ、傾聴し続けることは保証されない。
英語教育という観点で考えてみたい。指導要領の目標では大きくコミュニケーション能力の育成と掲げられている。しかしながら、教師の視点は表面上のCodeに向きすぎているのではないだろうか。様々な状況を判断した上で、発信者は多くの語彙の中から、受信者との出会いを継続するためのMessageを選択することにフォーカスを置くことは極めて少なくなっている。その結果、一辺倒な表現を詰め込んだ教材や会話が授業で取り扱われ、コミュニケーションの出会いを軽視してしまうがために、コミュニケーション全体を考える機会が減ってはいないか。
Messageを根幹に置いた授業を具体的に考えると、文学での巧みな表現を取り上げ、考えるというような指導が考えられる。現在では、このような文学を軸に考えられた授業は「コミュニケーションにおいて役に立たない」と忌み嫌われているかもしれない。確かに、年中ずっと文学の表現を扱う授業は極端で、文学に興味のある文学研究者以外はついてこないかもしれないし、コミュニケーション能力を育成するとは考えない。しかしながら、このような授業が、言語に対する敏感さを想起させ、出会いというコミュニケーションにおいて重要な場面を維持する働きを養うことを考えなければいけないのかも知らない。
3 教師に求められるもの
Informationとコミュニケーションモデルに踏まえた上で、改めて、教師が教室内で行えることについて確認したい。
教師が何かを教授する際には、少なくとも生徒に何かしら伝わらなければならない。指導要領の改訂で、教師は自らの英語に焦点を起きがちであるが、そちらばかりに意識が向かってしまうと、それはinformationという性質を失ってしまう。教師は、生徒の変化を意識した語り方が求められる。
生徒の変化を生み出すにはどのような配慮が必要なのか。それはコミュニケーションモデルで言う出会いを意識することであり、同時にMessageに対し、注意を向けることである。しばしば、間違いのない簡潔な英語が最善だと思い込むかもしれない。しかし、そのような無味干渉なメッセージは生徒の心を動かすことは出来ない。生徒とのコミュニケーションの場、出会いを発展させるには、敏感な言語感覚から、より生き生きとした言葉の選択が求められるのである。単なる英語でとどまることなく、教師がコミュニケーションの模範を示し、生徒に変化をもたらす。この意識が求められるのではないだろうか。
教師の「教え込む」という姿勢は、しばしばコミュニケーションの本質を隠してしまう。また、コミュニケーションにおける繊細な変数を見失わせてしまう。生徒にはそれぞれ独自のアイデンティティがあり、それらが複雑にからみ合って一人の人間を成しているので、自然科学のように、どのようなモデルも厳密に学習を定義することは不可能ではないか。また、社会というものは複雑に絡み合い、歴史的発展から変容し続けていく。単純化出来ない社会では、これまで行われてきたSLAという学問で唱えられた研究結果と自分のいる環境が等しくなることはありえないために、同じ効果が得られる確証は存在しないという点で、完璧な教授法は存在しない。何かに偏った教授の観点は、アイデンティティの差により、適合しなかった生徒を見捨ててしまうことになってしまう。教師に求められるのは、教室とは生徒が変化する場であり、教師はその変化の媒介という側面が大きいことを意識すること。また、何か偏った教授法にのみ頼るのでなく、複数の観点から、様々なアイデンティティをカバーできる配慮・アンテナを張っておくという事ではないだろうか。
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「英語教育は英語で」
NA
「英語教育は (原則として) 英語で行う」というスローガンに関しては国内でも賛否両論あるが、私が留学したハワイ大学でこのスローガンを俎上にあげた時になされた批判を紹介したいと思う。すなわち、「なぜ日本語を使えるアドバンテージを捨てるのか」というものである。
言われてみれば確かに、基本的に日本人は表意文字である漢字と、ともに表音文字でありながらも異なるニュアンスを持つ (と思われる) ひらがな・カタカナ・ (場合によってはアルファベットをも) 使い分けている。特に表意文字である漢字は、モノの名前などに用いられた場合、字面からそのモノの性質を示すことが多い。私の経験上、アルファベットに漢字が併記されることで、その単語の意味理解が促進されたという場合は多い。(もちろん、意味不明になることもある。)
今回の授業で扱った、plurilingualism (複合的言語観) という概念を見てみたい。複合的言語観は、他言語を学ぶことは「中国語運用能力」「英語運用能力」という個別に存在する能力を獲得することではなく、水 (元の言語能力) に洗剤 (新たに学ぶ言語) を溶かすように、別の性質を獲得することである、という概念だ。これは上記の私の経験にも当てはまる。ここでは、英語の形態素と、全く違う言語である漢字の関係で考えてみたい。
例えば授業で扱った “transcendence”「超越」という単語を見た時に、 “trans(変)-scend (上昇) - ence (状態) ” といった具合に漢字に変換出来れば、意味を類推することができる。trans-は私にとって漢字で言えば「変」という一文字に集約される。そのイメージは「垣根を越える移動=変になる=トリップ (トランス) 状態」である。二節目の “scend” は “ascend” に代表される「上昇」、三節目の-enceはモノの性質・状態をあらわす接尾辞である。そうすると “transcendence” は「トリップして上昇している状態」というイメージになり、コンテクスト「最近私はカントにはまっているので」からカントの「超越」という意味であることが類推される。こういった風に、全く異なる言語間に共通項を見出し (「英語だから漢字は関係ない」ではなく) 、既存の知識を利用し、新情報を類推する、それが複合的言語観ではないだろうか。
さて、この観点で言えば、「英語教育は英語で」というスローガンは何をもたらすだろうか。まず、日本語を利用した英語理解というものはなくなるだろう (逆説的に、もしそれが必要不可欠であるならば、日本語の利用はなくならないだろう)。それによって、言語的接触の非常に限られた (日本語に置き換えて理解することも出来ない) 英語に授業内でだけ触れ合うことで、客体的学習の疎外感と相俟って、英語に対する苦手意識が増すのではないだろうか。相手の言っていることが理解できないということは恐ろしいことである。私はスペイン語を話せないので、NYでタクシーに乗った時に運転手がスペイン語で誰かと連絡を取り合っているのを見るのがものすごく怖かった。
私は「英語教育は (原則として) 英語で行う」ということが実際に不可能であるとは思わない。英語を話せない人間が英語教員をするべきか、と論には一理ある。そして実際に可能であることはいくつかの実践で示されているとおりである。しかし、私は (一部の) 成功例をもって全体を断ずるのは早計であると考える。また、公教育としての機能、つまり国民の一定以上の能力を担保するという目的からすれば、生徒の実情、すなわち英語との接触や、英語を学ぶ必要性への実感がほぼ皆無である状態を鑑みない教育方法は間違っているのではないかと考える。「英語教育は英語で」というスローガンが自己目的化し、生徒がその犠牲になるという状況はなんとしても避けなければならない。別種の「ゆとり世代」を作り出してはならないのだ。
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講義のまとめと講義を通じて考えたこと
ND
1. 授業のまとめ
1.1 SLAの歴史的変遷
ここでは、SLA(Second Language Acquisition )の台頭から近年に至るまでの歴史的変遷ついて述べます。広い意味でとらえたSLAの台頭の背景には、第二言語習得理論に対する政治的・軍事的なニーズがありました。国の領土拡大や戦争の際に、他言語の習得が必要だったからです。そうして台頭したSLAは、1940-50年にかけて、構造言語学や行動主義心理学をその理論的背景として発達していきました。(構造言語学は統語的・音韻的な知識の体系化に、行動主義心理学は習慣形成理論に基づいた言語学習法の発展に、それぞれ大きく貢献しました。)やがて、Chomskyの登場により、SLAの論理的な拠り所は、生成文法理論へと取って代わられました。(生成文法に関する説明は割愛します。)その後、生成文法理論に対する批判としてHymesらが登場しました。個人の中で完結するChomskyの言語習得観に対して、彼らは周囲とのコミュニケーションまでを考慮した言語習得を唱えました。こうしてできたのが、比較的最近のSLA理論といえるでしょう。
1.2 SLA対する批判
上に述べたような変遷をたどって発達したSLA理論に対する批判として、「基盤となる概念の曖昧性」や「理論の過度な抽象性」というものがあります。前者については、例えば「日本人にとっての英語と、ドイツ人にとっての英語はどちらも同じレベルの”EFL”といってよいのか」といった曖昧性が挙げられます。後者については、たとえば、「統計処理によって一般的な『学習者』を想定して作り上げた理論を、多種多様な一人ひとりの学習者にそのまま当てはめてよいのか」というような問題が挙げられます。特に後者の問題は、従来の多くのSLA研究が、被験者のspecificな側面や周囲の社会的要因との関係を捨象して、理論を一般化してきたという点に置いて、慎重に顧みなければならない問題といえるでしょう。
1.3 社会的視点からみたSLA
前述のとおり、第二言語習得において、個々の学習者は周囲の様々な社会的要因と密接に関わりながら言語を習得していきます。その中で、それらの要素を排除し、数値化できる部分だけを理論として生成する自然科学的なアプローチをもってSLAは研究され続けてきました。言語習得理論を、単なる机上の空論で終わらせないために、私たちは一度、「理想的環境で語られる理論」から脱却し、様々な社会的要因に目を向けなければならないのです(social turn)。
今回の集中講義を通して、(私が受講した範囲では)「ヤコブソン・モデルによるコミュニケーションの再考察」「マルクスの商品論に基づいた、『商品』としての英語教育の考察」「affordance, identity, zone of proximal developmentなどの概念と英語教育」(この項目はうまく理解できませんでした。ごめんなさい。)を学びました。そのような分野からSLAを相対的に見つめなおすことによって、言語習得をより一層深く考察できたと感じます。
2. 集中講義を通して考えたこと
2.1 特定の理論を過信することへの反省
集中講義を通して深く考えたのは、1つの理論を信じこんでしまうことの危険性です。SLA理論は、依然その曖昧性を内在しているとはいえ、歴史的変遷の中である程度整合性のとれた理論体系に成長してきました。それ故に、私たちは「SLA理論にしたがって○○をすれば言語は習得できる」といった安直な考え方をしがちです。しかし、そのように1つの理論を無批判的に信じるのは非常に危険なことです。精緻化された現在のSLAだけを見ていては、その過程で捨象された学習者個人のspecificな側面を見落としてしまうように、一つの理論だけを過信していては、その理論の重大な欠点に気づくことが困難だからです。複数の考え方を相対的に比較し、それぞれの長所・短所を考慮しながら物事を考えることが重要であると考えました。
2.2 英語で情報を読むこと
加えて、英語で情報を読むことの重要性を再認識しました。講義中、先生のお話の中で最も印象に残ったのが、「英語教育を社会学的分析の観点から考察している文献が日本には非常に少ない」ということでした。現在、英語教育に関して多くの翻訳本が市場に出回っているものの、やはり「新しい情報」や「開拓が進んでいない分野の情報」が日本語に翻訳されるまでには、多くの時間がかかるようです。研究者として、また教育の実践者として、現状を批判的に分析し続けるためには、英語での情報収集を習慣づける必要があると、改めて考えました。
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「公教育」について考えたこと
MN
1.はじめに
私は「言語と社会」の講座を受けた4日間のなかで、日本の「公教育」はどうあるべきなのかということについて考えを巡らせてきました。講座を受けるなかで新たに得た視点、あるいはより明確にわかるようになった視点も多くありました。たとえば資本主義的な考え方が公教育にどんどん入り込み、いまやそれが当たり前であるというような見方さえ一部では受け入れられつつあるということ、しかし学校には教師と生徒間における贈与の関係が成り立ち、また公教育には富の再分配という側面もあるということ、そしてそれが日本の教育的な環境、あるいは学校そのものの良さを保ってきたということなどです。
2.1 公教育に対する考えの出発点
私自身も稚拙であるかもしれませんが、公教育あるいは公立学校はこうあるべきだ、という考えを、学校教育を受ける者としての経験のなかで、自分なりに考えてきたつもりです。その考えは当然、10年ほどの間で少しずつ変化をしており、今となってはどこでどう変わっていったのかも忘れてしまいましたが、そのスタートは中学生のときであったということは記憶しています。
2.2 学校の授業と高校受験にまつわる経験
高校受験を控えた中学3年生の2学期ごろのことでした。今はどうかわからないのですが、私が中学生のときは、中3の社会科では公民を扱うことになっていたと思います。しかし私の中学校では、中3のはじめの数週間は中2でやり残した歴史を終わらせてから、公民に入るという形をとっていました。周りの中学校でもそういう学校が多かったということを記憶しています。しかし私たちの代ではなんと、まるまる1学期分が2年生でやり残した歴史の時間にあてられてしまい、残りの2学期と3学期で公民をするという形になってしまいました。しかも、2学期に入ってからも授業のスピードは変わらず、「おそらくもう教科書の全範囲は終わらすことはできないだろう」とだれしもが感じていたと思います。
「丁寧な指導」とよべるならまだしも、授業とどのように関係があるのかわからないような親父ギャグと雑談で授業時間をつぶし、なおかつ教科書もほとんど進められない授業だったので、そもそも私たち生徒のなかではその授業に対する期待というのはあまりありませんでした。少なくとも、私自身はそう思っていました。しかし、何人かの友人に
「Nちゃん、社会科の受験勉強ってどうすればいいのかなあ」
とぼそっと相談されたときに、中学生にありがちな小さな正義心が私の中にも芽生え、ある時
「一体、公民の教科書はちゃんと終わるんですか。」
というようなことを、その社会科の先生に直接問い詰めてしまいました。そして返ってきた返事が
「なんとか終わらせるように頑張るね~。でもみんなちゃんと塾でも勉強してるんじゃないの~?」
というものでした。確かに私には、塾というエクストラの学習環境を与えられていた、恵まれた中学生だったので、いってしまえばその先生の授業があってもなくても高校受験にはほとんど影響はなかったかもしれません。しかしこの時当然、怒りの気持ちが私にはこみ上げてきました。
「塾に行っていない友人たちはどうなるのだ」
そういった感情でした。そして同時に、同じ中学校で学んでいる同士でも、「塾に行く生徒」、つまり自分と、「塾に行かない生徒」である友人の間で、なにかアンフェアな差異があるということを認識した瞬間でした。経済格差が学習機会の差になってはいけない、教育格差になってはいけない、という今の私の問題意識も、この出来事が出発点でした。
2.3 学校と生徒を取り巻いていた環境
今その当時のことを振り返って整理してみると、いくつかの憶測が思い浮かびます。
○その社会科教師自身も、「塾で習ってるから大丈夫」と次々に授業から背を向けていく生徒に対してやるせなさを感じていたのかもしれない。
(だからこそダジャレやギャグで笑いをとって、自分の授業に振り向かせたかった)。
○授業時間数の削減で、教えたい内容とあるべき進度を調節することが難しかった。
(この事に関しては実際、多くの教師がぼやいていた。)
中学生の頃は「あの先生はダメだ。なんもわかってない」と思っていましたが、おそらくその当時の学校をとりまく環境や生徒自身の変化に、そのベテラン社会科教師も存分に影響を受けていたのだと、今は思います。
また、私の父に言わせれば「受験勉強は自分ひとりでするもの」、つまり学校は特別な受験対策用のサービスを提供する必要はないそうです。(そのため父は塾に行くことも反対していました。)たしかにそういう考え方にも一理あるのかもしれないなあと思います。だから今は、その教師のことを全面的に悪者扱いしようとは思いません。しかしやはり残念だと思うのは、学校の授業を何よりも必要としている生徒(=塾に通わず、学校の授業こそが全ての生徒)へのまなざしまでも、その教師自身が見失ってしまっていたことです。
2.4高校での政経教師のことば
高校では一転、ほとんどの教員が「予備校は生徒の自由な学びを阻害する」といったような認識をもって、予備校を敵対視していました。試験は学習の到達度をはかるためだけに用いられ、結果を他人と比較すること(順位付けなど)もありませんでしたし、試験がない主要科目すらありました。国立大附属の教育研究校といった性格も大いにあったと思うのですが、学びの楽園のような場所だったと今は思います。
その中で、今でも心に残っている授業のひとつに「政治経済」の授業があります。「3年生の最後の授業では毎年同じ話をするんだ。」といって先生が話したことが今でも印象に残っています。
「この学校ではほぼ全員が大学進学を希望しているけど、高校生全体でみれば大学に行くのは半分。これを少ないとみるか、多いとみるかは人それぞれだと思うけど、中には経済的な事情から進学をあきらめる高校生もいるんだよ。僕は前任校でそういう高校生もたくさんみてきた。大学でどのように過ごすかは君たちの自由。それをわかった上で僕はお願いしたい。大学で学ぶ権利をもった存在、恵まれた存在として、そうでない人たちの分までという気持ちで学んできてほしい。」
ほとんど、こういった趣旨の話であったと思います。いま思えば、この先生はおそらく再分配のことについて触れていたのかもしれません。つまり学んだことを社会に還元できるような立派な人材になることが、恵まれた環境で学んだ者がすべきことだ、ということです。
高校生ながらに、周りには授業料の免除を受けている友人がいるのも知っていましたし、学校自体は図書館が雨漏りして大事な古書にカビが生えてしまうほど古い校舎でした。しかし卒業した今も心に残っている授業が多く、それほど優秀な先生がたくさんいたという点では、その中で教育を受け、勉強できた学生は質的にかなり恵まれた存在であったのだと思います。そしてそういう高校生を大事に育てることが、未来の社会への投資となる、といった価値観が教員である先生方にあったのだと思います。
3.これからの社会を守る主体的な存在として
最近知ったのですが、アメリカのある人気就職先ランキングのTOP3に、ある教育NPO団体がランクインしているそうです。このNPOは主に貧困地域にある教育困難校に教師(多くは大学の学部卒業生)を派遣するというプログラムを実施しており、実際の現場でリーダーシップと経験を培えるという点、かつ、貧困による教育格差という負の連鎖を食い止めるというNPO本来の目的にも適っている点が魅力的として、アメリカの大学生にも買われているそうです。
私自身は当事者なので他の世代との差についてあまりピンとはこないのですが、就職活動をしている中でよく耳にしたのは、私たちの世代は「社会貢献への意識」が高いということです。背景にはゆとり教育、震災、ライブドア事件やリーマンショックなどがあるとも言われているようです。個人的な実感の話にはなりますが、たしかに私たちの世代では働く上で、金銭的な利益だけを追求することはあまり魅力的だと捉えられていないように思えます。少年期に大量のリストラがニュースで取り上げられ、また教育では「個」を大事にされてきたこともあるかもしれません。モノにあふれた社会で育ってきたこともあり、「自分探し」という言葉も流行りました。もしかしたら「社会vs自分」という視点で、社会に貢献することで自分の存在意義を見いだそうとする姿勢があるのかもしれません。私のように、小中学生という段階で格差社会を目の当たりにし、そのやるせなさをエネルギーに社会を変えようと活動している学生も多いそうです。
今の日本における公教育の意義は見失われつつあるのではないか、それは私も強く感じるところです。しかし今の流れに乗ってこのまま簡単に、公教育の「公」の部分が失われていってしまうようには私には思えません。もしかしたら、思いたくないというのが正直なところかもしれません。ただそうならないためにも、新しい世代である自分たちが積極的に社会に問いかけ、世論に働きかけなければいけないのだとも思います。私たちの世代はまだ、今の日本社会をリードできるような存在ではないかもしれません。しかしいつか来るべきその時のためにこそ、今から、学校教育がさらされている資本主義的な発想に疑問を投げかけておくべきなのだと思います。
4.終わりに
今回の講義を受けて私は、とりあえず全てに○をつけるという姿勢を考えるようになりました。当たり前ですが、世の中には多くの考えがあり、さまざまな異なる主張をする人が存在しています。そして柳瀬先生がよくおっしゃる通り、「中庸」という考えもあります。
何をもって正しいとするかは何を基準とするかで異なり、あとはもう個人の良心の問題になるときもあります。何かを選ぶことは何かを捨てることだとはよく言われますが、だからこそ何かを選ぶときは慎重に吟味をしなければいけないのでしょう。学問でいえば、それが分析にあたるのかもしれません。
大学に入学した当初、私はおそらく理想の教育というものに対して少なからず偏った考え方を持っていたと思います。正と悪も今よりはっきりと認識していました。しかし異なる考えをもつ友人に揉まれ、広い学問の世界に触れて、次第に「真ん中あたり」に答えを求めるように変わっていきました。今まで自分が「悪」だと捉えていたことに対してもいったんは○をつけ、そしてとりあえず「中間」で答えを保留して、極端な項目をできるだけ外から考え、見つめ直す努力をするようになりました。自分の中でも「どれもいいんじゃない」というあいまいな答えが増えましたが、以前より視野は広がった、すくなくとも視野を広くしようという姿勢は身に着いたのではないかと思います。
今回の講義もそんなことを考えながら、たくさんの○をつけてしまいました。