2008年2月25日月曜日

集団内の個人差を利用する 

 実は既に、Zoltan Dornyei と Tim Murphey による Group Dynamics in the Language Classroom (Cambridge University Press)といった本も公刊されているようですが、多くの動機づけ (motivation) 研究は、個々人を対象としたものかと思います(私は動機づけ理論には詳しくありませんので誤りがあれば正してください)。

 ですが、多くの現場教師は、「学習集団づくり」、「学級づくり」、「学年づくり」、「学校づくり」といった集団を対象にも動機づけを行っています。いや、実際のところは「学習集団づくり」こそは教師、特に担任教師の最優先課題かもしれません。

 この集団対象の動機づけは、個人対象の動機づけ、もしくは個人対象の動機づけを人数分繰り返したものとは異なります。学習集団は、独自の社会的関係をもつものであり、社会的関係は、個々人の特質には還元されません。個々人の特質を超えたものが、社会的次元では創発するからです。この意味で、個人的な動機づけ理論とは異なる、社会的な動機づけ理論が必要だといえるでしょう(動機づけは心理学的だけでなく、社会学的にも考察されなければならないとも言えましょうか。それともキーワードは「動機づけ」ではなく「集団力学」(group dynamics)なのだと言うべきでしょうか)。

 ですが現実には、「習熟度別編成」にも見られるように、教育現場でも学習集団をできるだけ均質なものにする発想が根強いように思えます。

 できるだけ均質で差が少ない集団を理想とする発想には、学習とは本来個人的なものであるという考えが背後に控えているかと思います。ここではクラスという社会集団は、おそらく個人教授をする財政的余裕はないから、という否定的な理由でしかとらえられていません(この発想の延長上には、スタンドアローンのCALLは個々人にとって理想の学習機会を提供し、教師の人件費も省ける理想の教育手段であるという発想が待ち受けているのかもしれません)。これには心理学や言語学、あるいは言語習得研究や言語コミュニケーション力論の大半が個人を対象とした研究の枠組みしか持っていないことも関連しているのかもしれません。
 
 ですが、優れた実践を見ていますと、クラスの中の「差」(例えばfast learnerとslow learnerの差、ペア学習における差 – 学力においても、意欲においても、性格においても – )をうまく活かしていることがわかります。「差」から生じるコミュニケーションによって、ばらばらの子どもたちの集まりを、学習という目的に向かう集団に変化させてゆきます。教室という文化から逸脱しようとする子どもも、学習集団に統合されるようにしてゆきます。この観点からしますと、私たちにとっての社会的な理論は、集団の中に生じる個々人の違いとその違いが生み出す効果に注目したものでなければなりません。

 この意味で、社会的関係を、主に「差」(「差異」)の観点からとらえているルーマンの社会システム論は注目に値します。特に『公式組織の機能とその派生的問題』などの問題意識で、学習集団づくりというテーマを、上述のESLでの動機づけの書などと絡めながら考察してゆきたいと私は考えています(いつ時間が取れるかは定かではありませんし、この目論見が全くの見当外れであるという可能性もありますが 泣)。

 とまあ、私が現在夢中になっているルーマンを出すまでもなく、教育という営みは定義上、社会的なものです。ですが私たちはもっぱら個人主義的な学習ばかり考え、社会的な考察を驚くぐらいに怠っています。私たちは改めて「社会的関係」、「社会的次元」といった社会の理論について理解を深める必要があると私は考えます。(すみません、すっかりルーマンにかぶれています 笑)。


追記

『公式組織の機能とその派生的問題』でちょっとググったら、次のようなサイトが見つかりました。ネットって便利ね。

http://www.rku.ac.jp/~sawaya/system/sys6organisation.htm

http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/formal_org_note.html

http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/responsibility.html

2008年2月17日日曜日

2/20 ヴィトゲンシュタイン・ルーマン研究会 広島大学

ドイツからショインプフルーク先生およびラング=ヴォイタージク先生が来日されるにあたり、日独両国の各先生方の専門に照準を合わせた研究会を開催することになりましたので、ご案内申し上げます。

日時:2月20日(水)10:00~12:00
場所:広島大学教育学研究科第一会議室

研究会タイトル:ヴィトゲンシュタインとルーマン-教育学への挑戦
Wittgenstein und Luhmann: eine Anregung fuer Erziehungswissenschaft

【プログラム】
発表(1):ヴィトゲンシュタインからみた教育学(丸山恭司:広島大学)
発表(2):ルーマンからみた教育学(Gregor Lang-Wojtasik:Weingarten教育大学)
発表(3):ヴィトゲンシュタインとルーマンの接続(Annette Scheunpflug:Erlangen大学)
指定討論者(1)(ヴィトゲンシュタイン側):柳瀬陽介(広島大学准教授)
指定討論者(2)(ヴィトゲンシュタイン側):平田仁胤(広島大学大学院生)
指定討論者(3)(ルーマン側):山名淳(東京学芸大学准教授)
指定討論者(4)(ルーマン側):卜部匡司(広島大学助教)
質疑応答・ディスカッション

この研究会は、いわばヴィトゲンシュタインとルーマンから教育に迫るという試みですが、教育学研究の中でも特に研究の方法論や認識論に関心のある方は、ぜひご参加ください。方法論的に言えば、これは分析哲学とシステム論との対話でもあります。どんな議論が展開されるか、本当に楽しみです。ぜひご参加頂き、議論に加わって頂きたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。

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追伸、
当日の私の配付資料をweb公開しましたのでご興味のある方はご参照ください。

内田樹氏と倫太郎さんの英語教育論

私は内田樹氏のエッセイの愛読者ですが、
http://blog.tatsuru.com/2008/02/17_1252.php
では、内田氏の英語教育論が読めます。

英語教育という現象をクールにとらえるためにも、ぜひご一読を!


それから倫太郎さんがまたいい記事を書かれています。
http://rintaro.way-nifty.com/tsurezure/2008/02/post_a81f.html
私も少しでも地に足がついた活動をせねばと思います。

2008年2月12日火曜日

3/15 第二言語ライティングセミナー

下記セミナーをお知らせ申し上げます。

私は、下記の登壇者のうち、Paul Kei Matsuda先生と佐々木みゆき先生を個人的に存じ上げておりますが、お二人とも学識・お人柄共々私が心から敬愛している先生です。きっといいセミナーになると思います。私は広島で先約がありますので、参加することができませんが、皆様にお勧めしたく思い、ここにお知らせします。

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< 第2言語ライティングセミナー 開催案内>

テーマ: 第2言語ライティング能力を考える
~ 何をどのように評価し、フィードバックを与えるか ~
URL: http://homepage2.nifty.com/barbra/SLW_seminar.html

来たる3月15日(土)に、アリゾナ州立大学の Paul Kei Matsuda先生を
お迎えして、第2言語ライティングセミナーを開催することになりました。

本セミナーは、英語教育と日本語教育のそれぞれの立場から、第2言語
ライティング指導について考察し、お互いの経験や情報を共有する場として
企画いたしました。年度末のご多忙な時期とは存じますが、皆様方の
ご参加をお待ちしております。

●開催場所:東京国際大学早稲田サテライト
         東西線『早稲田』駅下車 徒歩5、6分
●開催日時:2008年3月15日(土) 午後1時~午後5時30分
●参加費:無料
●プログラム
(1)研究・事例発表
・英語教育の立場から:Stephen Timson(東京国際大学教授)
成田真澄(東京国際大学教授)
   ・日本語教育の立場から:田中真理(名古屋外国語大学教授)

(2)招待講演
講演者:Paul Kei Matsuda(アリゾナ州立大学准教授)
講演タイトル:「第2言語ライティング ― 誰のために書くのか?」

(3)パネルディスカッション
    「どうすれば第2言語ライティング能力を伸ばせるのか?」
パネリスト:Paul Kei Matsuda(アリゾナ州立大学准教授)
佐々木みゆき(名古屋学院大学教授)
            二通信子(東京大学教授)
            田中真理(名古屋外国語大学教授)
コメンテータ:木村恭子(日本経済新聞社 編集局 
英文編集部 担当次長)

◆参加のお申込みとお問い合わせは:
  東京国際大学 言語コミュニケーション学部
  成田真澄まで(mnarita@tiu.ac.jp)

2008年2月4日月曜日

コミュニケーションのテスト、テストのコミュニケーション

日本言語テスト学会(JLTA)第26回研究例会(会場:広島大学総合科学部J307教室2008年2月2日(土) 14:30-15:20)で発表させていただいた「コミュニケーションのテスト、テストのコミュニケーション」という発表のレジメを公開しましたのでお知らせします。ルーマンのコミュニケーション論によって、コミュニケーションのテストを考え直し、かつテストも一つのコミュニケーションであるということを言おうとした発表です。

http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/Luhmann.html#080204

当日はいくら50分のお時間を頂いたとはいえ、約42,000文字の上の資料を読み上げるわけにはいきませんでしたので、パワーポイントを使って発表しました(それでもスライドは68枚使いましたが・・・汗)。


実は私はここ数ヶ月、ルーマンに夢中になっています。私としてはこんなに夢中になれる枠組みはウィトゲンシュタイン以来です。

Psychology of readingのPerfetti、そして後期ウィトゲンシュタイン、柄谷行人、大森正蔵、ウィノグラードとフローレス、前期ハイデガー、ハイエク、チョムスキー(の哲学的論考)、デイヴィドソン、関連性理論、アレント(あるいはそれらよりもかなり劣る程度で西田幾多郎、ハーバマス、ウェーバー、ニーチェ、スピノザ、サール、カント、ネグリとハート)などと私はいろいろな研究者の本を何度も読み返して、私の思考の幅を広げようとしてきましたが、私にとってのルーマンは、私にとって最初の哲学者であったウィトゲンシュタイン以来最大の知的インパクトを受けているような気がします。おそらく最終的な影響はウィトゲンシュタイン以上のものになるかとも思っています。

しかし、ルーマンこそは「皮相な批判と、安直な礼賛があまりにも多い」とも言われる研究者です。私のルーマン読解は、量的にも非常に少ないですし、質的にも日本語訳を中心にして、気になる箇所だけ原著のドイツ語と英訳本を参照するだけのですから、このような勉強程度で資料の公開などするべきではないのかもしれません。

しかしそれこそルーマンにのぼせてしまった者としては、自らの論考を社会のコミュニケーションの中に入れてしまうことで、自らだけでは決してなしえない展開ができればと思い、ここに公開します。

ご批判があればどうぞお寄せください。間違いはすぐに正すつもりです。