2013年9月30日月曜日

ある卒業生からのメール ~「遠回りするとはどういうことか」



先日の「目標に向かって一直線に進むことのリスク」 ~ ある学部4年生の述懐 を読んだ卒業生がひさしぶりにメールを書いてきてくれました。そのメールから個人情報に関する部分を削除・編集した上で、このブログに掲載することをその卒業生が快諾してくれたので、以下に掲載します。学生の皆さん、どうぞご参考に。



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柳瀬先生、ご無沙汰しております。

卒業生の○○です。

私が暮らしている△△でさえ、記録的な酷暑の夏から急速に涼しい秋へと移り変わりつつありますので、盆地にある西条はなおさら気候の変動が大きいことと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。

先生のブログを楽しみに拝読しております。

このたびのゼミ生の方の手記を読ませていただき、「遠回りするとはどういうことか」という具体的事例を自分になら示せるのではないかと、半ば自分勝手な判断ではありますが、感想を述べさせていただければと思いまして、メールさせていただきます。

学部生を終えようとしていた当時、私は「このまま自分は英語教師になっていいものか。全然経験が足りないじゃないか。」と自問自答、行き過ぎて自己否定を繰り返し、自己肯定感が異常に低下していました。

現に、私は学部4年生で教育実習に参加できず、たくさんの方々のご支援があって卒業論文を完成させることができ、なんとか卒業はできたものの、教員免許は持っていませんでした。

次の年に科目等履修生として、教育実習に参加、まだまだ体調や気分が不安定だったため、同じ班だった後輩たちや指導教官の先生方にも迷惑を掛けつつも、何とか単位を取得でき、晴れて教員免許を取得できました。

科目等履修生として教育実習がある時期以外の日々は、飲食店で朝から夕方まで、夜は塾や家庭教師でフリーターとして過ごしました。

そこで得た資金をもとに、次の年は英語力向上と環境を変えることによる体調改善を目論んで、また卒業論文でALTをテーマとしたことがきっかけとなり、10か月の間、日本語教師ボランティアとしてオーストラリアの私立学校2校で働く経験をすることができました。

私は大多数の大学生が通る道から大きく外れ、「英語教師を目指して大学で純粋培養され、そのまま教師になっていいのか」という学生時代の悩みを抱く理由はなくなりました。

しかし、科目等履修生の年、オーストラリアにいた年に、私は、大多数の同級生が進む道から外れていることへの劣等感や焦りのようなものを感じていました。

教員として1年、2年とキャリアを積み上げていく人、大学院生として忙しく研究に取り組み自己研鑽に励む人、厳しい就職活動を乗り越えて一般企業で働く人。

そういった道ではなく、日本ではフリーター、オーストラリアでは無収入だったわけですから。

「隣の芝生は青く見える」とはよく言ったものです。

日本に帰って来て、フリーターをしながら教員採用試験を目指そうと思っていたころ、高校時代に塾で教えていただいた恩師から学習塾を紹介していただきました。

アルバイトの面接の席で塾長から、「正社員で働いてみないか。教員採用試験も考慮してあげるから。」と言われ、先述の通り劣等感でいっぱいだった私は、社員として働き始めました。

まさかの中小企業勤務のサラリーマン生活スタートです。

塾業界は少数の大手を除いては大多数が個人塾であり、この塾長先生方はみなさん、とても実年齢からすると若々しく、40代まではまだ若手、50代で中堅、60代、70代でもバリバリ、中には80代でも現役の先生方がいらっしゃいます。

みなさん、総じて実年齢よりもずっと若々しいのが印象的です。

これは、日々子どもたちと接し続けているから感性が若いままでい続けられる、というのもあるかもしれませんが、一番大きな要因は、変化を恐れない姿勢だと思います。

たとえば、HPやブログ、SNSなどで60代、70代の先生方もどんどん情報を発信しています。

また、現在、塾業界では、未就学児童の幼児期教育、パズルを用いた能力開発、幼稚園までではほぼ全て英語を使った活動があるのに小学5年生になるまで学校で英語学習が行われないことに不安をもつ親御さんが多いというニーズから小学校低学年の英語学習、といったものがトレンドなのですが、そういったものにいかにチャレンジしていけるか。

学習塾は教員免許などなくても開くことができますから、最初はほとんどみんなど素人です。

でも、教材の販社 [柳瀬補注: 塾専用教材の業者が主催する研修会] や私立学校の研修会に参加させていただいたり、先進的な活動をされている塾に見学に行ったりしながら、手探りでなんとかしようと日々努力しています。

大手塾がブランド力も財力も持っていますし、個人塾は無数にありますので、必要とされなくなれば、いずれ淘汰される運命にあります。

学校がカバーしきれない部分を補う究極の隙間産業です。

隙間を見つけたらそこを埋める必要性を訴え、採算が合う範囲内でいかに質の高いサービスを提供するか考えます。

生徒に必ず声をかけてコミュニケーションをとり、困っていることを見つけたらその解決法を提案する、おせっかいを焼くことが仕事だと自分に言い聞かせています。

ほとんどゼロから、無数の失敗を乗り越えて今に至ります。

仕事に就いてから学ぶことというのがとても多いのですし、職業人として働く限り、いくつになっても成長しようとする不断の努力が必要です。

ゼミ生の方が学生の時点で幅広い経験をされようとする姿勢、それは働き始めたらとても重要です。

でも、それらに今手がつかないことを責めて負のスパイラルに陥るよりも、得意なこと、これまで3年半頑張ってこられたことをどんなに狭くてもいいから続けていただけたらと思います。

お話を伺いますところ、英語だけでなく小学校の教員免許取得にサークルにバイトなどで活躍されたとのこと、十分幅広いと思います。

少なくとも専門の英語だけは毎日のラジオ体操のように隙間時間でもできるようなことを続けたり、今すでにされているような、英語教育関連の書籍を次々と読んで引き出しを増やしたりといったことなど。

就職した後、引き出しから出す、すなわち授業で実践してみてうまくいかなければそこで反省し、改良を加える。

その繰り返しで成長していけると思います。

仕事を始めてからが勝負です。

消極的にならず、どんどん新たな挑戦をしてください。

失敗してください。

しっかり悩んでください。

大学卒業から10年ぐらいになりますが、教員をずっと続け、2校目・3校目の勤務校に進んだ人、修士課程を終えて教員を続けている人、博士課程を終えて大学に残っている人、私学や新卒で入った企業に勤め続けている人、は確かにいます。

でも一方でいろいろな人生を歩む人がいます。

校種を変えた人、教員採用試験を受けて私学から公立へ変わった人、学校から学習塾に移った人、学習塾から他業種の企業へ転職した人、公立の教員を辞めて海外で過ごし帰国後再び教採を受けて復職しようとする人・・・

そのきっかけも、仕事に悩んで、というのもあれば、結婚や子育てなど生活を考えて、というものなど、様々です。

大学で学んだ教育であったり英語であったりとは関係のない業種で頑張っている人もいます。

表に出さないだけで、みなさんそれぞれに苦難や悩みを抱えつつも、必死に生きているのだと思います。

私が教英で出会い、一緒に頑張ってきた人たちには、いい意味で、真面目に生きていらっしゃる方が多いと感じています。

たとえどのような道を進んでいるにしても、です。そのような人たちを見たりお話を聞いたりする中で、ひたむきに「目標に向かって一直線に進む」ことができる教英の環境は、後々の人生の幹となる部分を培ってくれる、素晴らしい環境なのではないかと思います。

たとえ大学卒業後すぐに教員になっても必ず苦難にぶつかります。

中には大学で学んだ知識で乗り越えられることもあるかもしれません。

でも、起こりうる多種多様な困難を克服するには、自分の持てるもので体当たり的に立ち向かうしかないと思います。

私も働きながら痛感することですが、ぶつかってみないと分からないことが世の中にはとてもたくさんあるのです。

どんなに能力があっても、また、どんなに努力を積み上げてきたとしても、運やめぐり合わせにより、思うような未来が待っているとは限りません。

どんなに頑張っていても正当に評価されなかったり、どう考えても自分が正しいのに理解してもらえず虐げられたり、といった環境的なものから、突発的な事故や病気、怪我といった肉体的なものなど様々な苦境が起こりえます。

歯を食いしばって耐えるのもよし、自分に合った環境に移るのもよし。

息切れしたら休んでもいい、潰れると思ったら逃げてもいい。

幸せになるためなら現状を、想定していた将来像を変更してもいい。

積み上げたものが崩れても、別の場所で他のものをもう一度積み上げればいい。

一番大切なのは生き続けること。

それが人生トータルで成長することにつながると思います。

「英語教師になる」という目標をもった人たちが集い研鑽しあう中で培った、一途に何かに取り組む根本的姿勢をどうか覚えていてください。

職業や生き方は私とはまったく異なりますが、今でも教英の先輩方、同級生、後輩たちの姿を直接話したり連絡を取ったり、またSNSで拝見したりするなかで、今でもたくさんの刺激と元気をいただいています。

また、学校訪問などで教英や広大教育学部出身の先生であるというそれだけで繋がりが深まる体験を何度か経験し、改めて、卒業してからそのありがたみを実感しました。

学校の先生になられるならば、なおさらそういった経験も多いことでしょう。

そんな学び舎である教英にいたことを、私は今でも幸せに思います。

以上、立場をわきまえない失礼な記述等ありましたらお詫びいたします。

拙文にて失礼いたしました。






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