2013年4月4日木曜日

北川智子 (2013) 『世界基準で夢をかなえる私の勉強法』幻冬舎



向学心のある学生さんにぜひ読んでほしい本です。私は個人的にこの本を、院生控え室と学部生控え室に置くことにしました。特にプレッシャーの多い院生さんは必ず読んでほしいと老婆心ながら思います。



■「世界基準」は「無理をしないこと。自分らしくあること」

「世界基準で夢をかなえる」などと言えば、また「根性!努力!競争!勝利!」のオンパレードかと思われる方もいるかもしれませんが、それはまったくの早計というものです。

著者の北川智子先生は、九州の高校からカナダへの一ヶ月のホームステイをきっかけに、カナダの大学への進学を決め、ブリティッシュ・コロンビア大学で数学と生命科学を専攻、同大学院でアジア研究の修士号を取得、その後プリンストン大学で博士号を取得し、ハーバード大学で3年間教えた後、現在は英国ケンブリッジ・ニーダム大学を拠点に世界をめぐっています。そんな北川先生のアプローチは、自分の感性と感情を大切にして毎日の暮らしを充実させること。無理なことはあきらめ、自分ができることを平常心で行い続けるというものです。

たしかにこのアプローチこそ「世界基準」ではないかと思います。「根性!努力!競争!勝利!」が世界基準なら、この世はごく一握りの勝ち組がほくそ笑み、圧倒的大多数の負け組が困窮する世界になってしまうでしょう。そうではなく、各人が自分らしさを追求しながら、のびのびと暮らしながら働き続け、自分に一番適した場所を見つけていくことこそが、(大げさな言い方になりますが)世界のあり方なのかもしれません。



■TOEFLの点数が圧倒的に足りない!その時あなたは?

北川先生のアプローチについてはもちろんこの本を実際に読んでほしいので、ここではいくつかのエピソードだけ書きます。最初のエピソードは、九州の高校を卒業し、いったんカナダの語学学校に行った時のことです。カナダに行ってみると、想像以上に英語がわからず、かつ大学入学のためのTOEFL得点は絶望的に高かったそうです。なにせ、学校から家まで自力でたどり着くことができないだろうと心配したホームステイ・ファミリーに家の住所を書いた名札を、幼子やペットよろしくつけさせられたぐらいですから、語学学校でいくら勉強しても、大学入学のために必要なTOEFL得点基準は、はるかかなたにありました。

これは留学に行かない人にもあてはまるエピソードではないでしょうか。最近は就職をするにもTOEICの点数が要求される場合が多くあります(特に理系での採用で)。最近は、自民党案として大学の入学と卒業時にTOEFLを要求する改革案がでました(クラッシェンの意見と(きわめてまともな)The Japan Timesの社説はこちらを御覧ください)。

この改革案が実現されるかどうかはわかりませんが、仮に実現された場合、またTOEIC狂想曲と同じような騒ぎが大学でTOEFL狂想曲として繰り返されるだけでしょう(しかもTOEIC狂想曲の検討抜きに)。つまり多くの大学がTOEFL対策授業を立ち上げ、TOEFL対策問題集を教科書とし、TOEFL受験を学生に強制するでしょう。

その場合予想されるのは、大多数の学生の英語に対する挫折感・屈折感・無能感です。ビジネスパーソン用のTOEICでさえ歯が立たない学生さんが多かったわけですから、北米の大学で学術研究をするためのTOEFLでは、もっともっと多くの学生さんが、問題集を解き模擬試験を受けるたびに、自らの能力不足を嘆くことになるでしょう。

もちろんごく一部の学生さんはきっとTOEFLでも高得点を上げるでしょう。才能と意欲と運に恵まれた人というのは、いつの世にも少数ですが必ず存在するわけですから。ですが、大学を含めた学校教育の目的は何かということです。一部のエリートを選抜すればそれでいいのか、それとも一人ひとりの才能を伸ばすべきなのか、国公立や私立を問わず、何のために大学を含めた学校に多額の税金が使われているのかということです。

話が脱線しましたが、英語の資格試験で高得点が必要なのだが、自分の得点はそれに圧倒的に足りない場合、あなたならどうします?資格試験のための問題集を買い、対策講座を数多く受講する?

若き北川さんの場合は違いました。テストのための勉強をやめました。語学学校で受講するのは文法と会話のコースだけにしました。。その時の北川さんの実力でTOEFLの問題を解いても打ちひしがれることは目に見えていたからです。そんなことより「とりあえず毎日楽しく暮らす方がよいだろうという、自然な結論」(23ページ)に落ち着き、ホームステイ先の子どもと一緒に子ども用のテレビ番組を見て、その子に(英語の)絵本の読み聞かせをやっていました。そして英語ができなくても、他の人の雰囲気を壊さないようにしながら会話の仲間に入ってゆきました。

「急がば回れ」 ― 北川さんは結局この方法で、わずか半年でTOEFLの基準点に到達しました。

もちろんここには北川先生の底力もあるでしょう。本の記述によれば、中高時代の、北川さんには見たものをそのまま記憶してしまうような力もありましたし(49ページ)、後の博士課程在学中には、気がついたら5日間ずっと勉強していた(「途中で、冷蔵庫にあるものを食べたような気もするが、何回食べたかはわからない。寝てはいなかったと思う」(131ページ)といった驚くべき集中力も体力もあります。

ですがそういった底力を発揮させるためにも、北川さんが、自分の感性と感情に忠実に、自分がもっとものびのびと力を発揮できる環境を選び、その中で毎日を大切にしていったということは強調されるべきかと思います。

現在は、教育の世界においても、

「数値目標の設定⇒その目標への最短路の確定⇒その最短路での一斉競争」


という単純極まりない(おそらくは、短期的な結果しか出せず長期的には自らの力を損ねてしまう、ビジネス経営や戦争の作戦としても愚かな)思考がもてはやされています。新自由主義が誰もが疑わないイデオロギーとなり、教育者までもが「競争こそすべて」と思い込んでいるかのようです。

もちろん私とて、親や国の庇護ではじめて可能になっている状況を当然視し、それがいつまでも続くように思っている若者への批判はあります(参考記事:「教養ゼミ」での学部一年生へのメッセージヘラヘラして勉強しない若者へのおじさん的おせっかい)。しかし一方で、新自由主義を無批判に受け入れたような社会体制が、若者に対して数値目標への競争の枠組みしか提示せず、そこから一部の者が勝ち抜けば、後の若者に対しては知らんぷりしているようにも思える現状にも批判の目を向ける必要があると思っています(特に教育者として)。

北川さんの上記のエピソードは、この意味でも重要かと思います。年長者がやるべきことは、若者を脅して閉ざされた競争の枠組みに追い込むことでも、「助長」よろしく短期的結果を求めて長期的潜在性を枯らしてしまうことではありません。かといって、もちろん、若者を甘言でごまかし、若い世代を成長させる年長者としての責任を責任を放棄することでもありません。

年長者が若者に対して行うべきこと、いや人が互いに行うべきことは、一人ひとりの人間にできるだけ最適の環境を提供し、そして一人ひとりが成長して、お互いを支える世界を創りあげることでしょう。私自身、自分を追い込んで成果を上げる昭和・巨人の星・空手バカ一代的ど根性主義に親しんでいただけに、自分の感性と感情を大切にするこの北川先生のアプローチから大きく学びたいと思っています。



■大学の授業が相当にハードだった。あなたならどうする?

こうして大学に入った北川さんでしたが、単なる語学と、語学は手段に過ぎない学問は、もちろん異なり、大学の授業は相当にハードでした。そんな場合、あなたならどう考えるでしょうか。

北川さんの場合、最初の2日で「この世に頼れる人は自分しかいない!」と実感、確信しました。

しかしそこから悲観の坂を転がり落ちるのではなくて、いわば開き直って自分の人生を肯定するところが北川さんの素晴らしいところです。

その覚悟がいったん決まると、後はあまり辛くなかった。自分しかいないというのは、裏を返せば、自分が自分の責任でできる範囲のことをやればいい、自分が試験で悪い点を取ろうが、誰にも迷惑はかけない、ということだ。なので、自分で学びたい科目を、自分のキャパシティの限界までMAXの力で勉強することを目標にした。そうすると、テストも怖くなくなった。たとえ悪い結果が戻ってきても納得できるからだ。大学の勉強は自分のため。そう思って、自分の勉強したいことを、のんびりのびのび、思う存分するよう徹底した。(48ページ)


つまり「これは自分の人生であり、自分の行動は自分で決める。そしてそれに全力を尽くし、その責任はすべて取る」と、肩をいからせることなく、自然体で決意したのです。

北川さんのその時の事情を知らず、日本の大学で多くの学生さんを見てきた私としては、「授業料は誰が払ったのだろう」とも思ってしまいます。保護者が払ったのであれば、一切の結果や見返りを期待せずに払ったのだろうか、奨学金という名前の教育ローンを借りて払ったのであれば、その返済責任も具体的に自覚した上での決意だったのだろうかと思います。残念ながら大学にはごく少数ですが、金銭の大切さを自覚せず、安易な方向に自分を甘やかすだけとなり、大学に払った授業料を無駄にし、奨学金(教育ローン)の借金を抱えてしまう学生さんもいます。私としては、この北川さんの決意を「あっ、オレもそうっす。オレもマイペースでやらせてもらうんで」と軽々しく捉えてほしくないと思っています。北川さんの決意は軽々しいものではなく、リスクをすべて自分に受け止めるスリルを感じながらの決意であり、その決意はその後の毎日の充実で裏づけられていたと私は考えます。



■まずはストレス・マネジメントとメンタル・マネジメント

北川さんの大学・大学院時代の過ごし方は、学生の皆さんにとって、もっとも知りたいところでしょうが、そこは省略します。繰り返しますが、どうぞ本書を実際に味わいながら、自分のライフスタイルと重ねあわせながら読んでください。

ここでは北川さんが博士号を取得し、厳しい競争を北川さんらしく勝ち抜いてハーバード大で教えることになった時のことを短く紹介します。

ハーバードで教鞭をとるためには、圧倒的な勉強量だけでは足りず、教師としてのにじみ出るような自信が必要です。ならば、どうするか。睡眠時間を削っても猛勉強するのか?

北川さんはこう語っています。

先生としてレクチャーしていくための自信は、急にはつくれない。日常のあらゆる面をコントロールしてベストの状態を保つことから、すべては始まった。ふだんの生活ぶりを整えて、きれいな服を着て、毎日を楽しむ。それを実践して、成功している教授が、実際、周りに二人いたので、参考になった。(151)


かくして北川さんは、フィギュアスケートやピアノの時間をスケジュールに組み込みます。そして月曜から木曜は朝7時から夜2時までびっしりと、授業・勉強・フィギュアスケートやピアノに集中します(月から木までは全力を尽くし、金から日はフレキシブルにやるという「4:3の黄金比率」が北川さんが学生時代から採択しているライフスタイルです)。

北川さんは「生活のあらゆる面を改善し、ハッピーなムードを保つルーティーンをつくって、効率よく仕事をこなすことに力をそそいだ」(155ページ)とも言っています。

このあたりが、私としてはもっとも啓発されたところです。

私としては、スケジュール管理だけでないタスク・マネジメントが重要であること、そして同時にタイム・マネジメントもタスクに支配されたものでなく「生きる」ためのタイム・マネジメントでなくてはならないと、経験から学んできましたが、まだまだメンタル・マネジメント、そしてメンタル・マネジメントを行うためにやっておかなければならないストレス・マネジメントの重要性をきちんと理解していませんでした。(北川さんの場合でしたら、生活を整えることがメンタル・マネジメント、大好きなピアノを2時間連続して弾くことやフィギュアスケートでからだを動かすことがストレス・マネジメントだったように思えます)。

こうしてみますと、きちんと仕事をして生活を充実させるために大切なのは、重要な順番に並べますと、(1)ストレス・マネジメント(特に身体からのアプローチ)、(2)メンタル・マネジメント、(3)タスク・マネジメント、(4)(スケジュール管理という意味での)タイム・マネジメント、となるかもしれません。







■KEEP CALM AND CARRY ON, or BE YOURSELF AND CARRY ON

北川先生のアプローチは次のことばにまとめられるかもしれません。

私の場合は、いつも「あきらめ」に救われてきた。TOEFLの時も、GREの時も、自分にできないことを素直に認めて、極力気にしないようにした。また、悩むかわりに、自分ができることに力を込めた。「頑張る」とか「背伸びする」とかせず、実力以上のキセキが起こる確率に賭けずに、着実に、できる分野のことに力を入れるようにした。 (112ページ)


自分の前に壁がそびえたとき、そこに体当たりをして自分のからだと心を傷つけてしまうのではなく、何か他に自分ができることを探し、毎日というより毎時間を充実させながら、淡々と努力を重ねてゆく。それを毎日、毎週、毎月と何年も続けてゆく、これこそ世界中の人が参照すべき「世界基準」ではないでしょうか。



皆さんのご一読を心からお薦めします。











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