第38回 全国英語教育学会 愛知研究大会も直前に迫りました。この大会で私たち(柳瀬陽介・樫葉みつ子・上山晋平・山本真理)は、課題研究フォーラム(中国地区英語教育学会)として、「英語教師が書くということ -日本語あるいは英語による自らの実践の言語化・対象化-」 について発表することは前にお知らせした通りですが、本日は、当日の進行についてお知らせします。
■当日は予稿集の読み上げではなく、ぶっつけ本番の対話を楽しむ予定です。
この種のシンポジウムなどでは、時折、予稿集に書かれてあることとほぼ同じ事を発表するだけのものもありますが、私たちはそれでは面白くないと考え、当日の即興の対話をできるだけ楽しむことにしました。
したがいまして、当フォーラムに来ていただく方は、下のブログ記事からも読める予稿集原稿を予め読んできていただければ幸いです。予め読まなくても楽しめる対話にはするつもりですが、予め読んでおいていただいた方がきっと楽しめると思いますのでお願いする次第です。
英語教師が書くということ
-日本語あるいは英語による自らの実践の言語化・対象化-
(発表要旨)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/06/blog-post_19.html
-日本語あるいは英語による自らの実践の言語化・対象化-
(発表要旨)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/06/blog-post_19.html
■当日のスケジュール
当日は以下の進行で行う予定です。せかせかせずに、時間を大切にしたいと思っています。
14:30-14:40 柳瀬による趣旨説明
14:40-14:50 樫葉から上山・山本への問い
14:50-15:10 両者からの応答と三者での対話
15:10-15:20 柳瀬から上山・山本への問い
15:20-15:40 両者からの応答と三者での対話
15:40-16:00 フロアーとの対話
■樫葉先生から上山先生と山本先生への質問
樫葉先生からは、上山先生と山本先生へ以下の質問を投げかけます。当日は10分間かけてその質問の趣旨説明をしますが、ここではその概略と当日使用するスライドの一部を掲載します。(スライドをクリックしたら拡大画像で見ることができます。また全スライドは、この記事の末尾からダウンロードできます)。
(1) 上山さんへの質問:
まったく経験のない人から「実践記録」や「ブログ」を始めたいと相談されたら、どんな助言をしますか?
(2) 山本さんへの質問:
まったく経験のない人から「ジャーナル」を始めたいと相談されたら、どんな助言をしますか?
■柳瀬から上山先生と山本先生への質問
私の質問の概略と当日スライドの一部もここに掲載します。詳しい説明は当日にいたします。
(1) 上山さんへの質問:
書くことの4段階(「メモ」「実践記録」「ブログ」「発表資料」)の違いについてもう少し教えてください。
(2) 山本さんへの質問:
「書くことの苦労・限界」についてもう少し語っていただけますか?
特に、なぜジャーナルをつけることで観察が注意深くなったと考えていますか?
■あらためて本フォーラムの意義を考える
私がウェブ活動を始めてから15年目にもうすぐ突入しますが、この間、一貫して「現場の」実践者のことばを大切にしてきたつもりです。何より私自身、下手な学術論文などより、はるかに深い知恵を実践者のことばに感じてきたからです。
ですから、私は実践者のことばに場を創り出すことを重視してきました。学術論文の体裁を取る文章に対しては、学会が場を提供していますが、残念ながら実践者にはそのような場はあまりありません。仮に「実践報告」などを書く機会があっても、それはしばしば学習指導要領などの官製の言語を使うことを事実上強要されていることは周知の通りです。ですから、実践者が、何より自分が納得できて、他の実践者にも共感的に理解できることばを自由に使うことができる場を創り出し育てなければなりません。(これが、私が英語教育達人セミナーに肩入れしている理由の一つです)。
しかし場を創り出すだけでなく、育てるためには、実践者のことばをより洗練させる必要があります。いや鍛えるというべきでしょうか。自慢にも自己憐憫にもならず、独りよがりにもならない客観性を保ちながらも、自らの心の揺れそして自らの心に映る他人の心の揺れといった主観性も描き出すことができることばをです。
言いすぎかもしれませんが、量的研究のことば遣いは、方法論的に確立していますから、勘の良い人なら半年で修得することができます。しかし実践者のことばに関しては、定型的な方法論がありませんから、模索しつつ自ら少しずつゆっくりと身につけてゆくしかありません。
多くの人と語り合うことを通じて、少しずつ自分の感覚と他人の感覚のずれを察知しなければなりません。いや自分の感覚そのものも確固たるものではなく、自分の感覚と、その感覚を表現しているはずの自分のことばとのずれをも知覚しなければなりません。自分を自分のことばに仮託しつつも、そのことばに齟齬感を覚えながら、書き直し書き続けなければなりません。
私も書きながら気づいたのですが、前の段落は「語り合う」という表現から始まったものの最後には「書き直し書き続ける」という表現になってしまいました。口頭言語は即時性には優れるものの、反省的思考を促す点では書記言語に劣るといえるでしょう。書記言語は、自らの言語を視覚に留め続け、その停留が自らのことばの妥当性を吟味させます。ことばを鍛えるためには、語るだけでなく、書くことが必要でしょう。だから、実践者も書くこと、そして書くことから学ぶことが必要だと私は考えます。
今回のフォーラムでは、上山さんと山本さんという優れた実践者が、どう自らの実践を書き、またその書くことでどのように学んでいるのかを少しでも解明できればと考えております。
皆様、時間がありましたら、ぜひ本フォーラムにお越しください。
上で一部をお見せした当日に投影する予定の
スライドはここからダウンロードできます。
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