よい質的論文の条件を筆者は次のようにまとめます(11ページ)。
・一つひとつの記述や分析が、単なる個人的な印象や感想だけではないデータを含む、しっかりした実証的証拠にもとづいてなされている。
・複数のタイプの資料やデータによって議論の裏づけがなされている。
・具体的なデータと抽象的な概念ないし用語とのあいだに明確な対応関係が存在する。
・複数の概念的カテゴリーを組み合わせた概念モデルと具体的なデータとのあいだにしっかりとした対応関係が存在しているだけでなく、それについて論文のなかできちんとした解説がなされている。
・議論や主張の根拠となる具体的なデータが論文や報告書の叙述のなかに過不足なく盛り込まれている。
こうした優れた質的研究の根底には、「現場の言葉」を「理論の言葉」(ないし「学問の言葉」)へと移し替え、さらに「理論の言葉」を「現場の言葉」に移し替えようとする「文化の翻訳」あるいは「意味の翻訳」が何度となく往復されることがあると著者は説きます(第二章)。いわば異なる二つの文化に通暁することが「分厚い記述」を支える基礎になっていると言えましょうか。
そうした現場感覚に基づいて、質的研究者は(非言語的データと共に)文字データを作成し、その文字データに小見出しをつけます。これが「コーディング」です。このコーディングは、量的研究と違って、質的研究ではプロジェクト全体にわたって何度も繰り返しおこなわれ、研究者はデータ分析の作業を通じて概念的カテゴリー・コード体系を(再)構築してゆきます(第三章)。コーディングには、現場の言葉をそのまま使う「インビボ・コーディング」や抽象度の高い少数の概念を構成する「焦点的コーディング」(focused coding)があります(第七章)。
ここで著者が強調するのは、コード(概念的カテゴリー)と文脈のあいだの往復運動の重要性です。文字テクストはコードを割り当てられることにより、元の文脈から切り離されますが(「脱文脈化」ないし「セグメント化」)、さらにコードはデータベース化され、考察の対象となります(第四章)。
考察をする際に著者が勧めるのは「事例-コード・マトリックス」です。この趣旨は「木を見て森を見る」そして「森を見て木を見る」ために組織的・体系的にデータを検討することです(第五章)。さらに考察の際には、データを色分けしたり、「アウトラインプロセッサ」を使ったり「QDAソフト(MAXqda)」(日本語マニュアル)を使ったりして、データの膨大さや複雑さに困惑されないように工夫することが勧められています(第九章)。
そうして報告書や論文のために「ストーリー化」するのですが、ここで口頭発表やパワーポイント・プレゼンテーションでうまくやれる人も案外に苦労します。ここで改めて私たちは論文を書くということはどういうことなのか、という根源的なことを考える必要があるのかもしれません。
質的研究はこの本に書かれているようにやらなければならないわけでもありませんし、この本に書かれているようにやれば必ずしもうまくゆくわけでもないでしょう。やはり研究者個人の思考と判断、そして試行錯誤が必要でしょう。しかし質的研究を志す人なら、手元に置いて常に参照したい本かと思います。
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この本、いいですよね。
返信削除何がいいかというとたくさんありますけれど、安易に「質的研究は優れた手法なんだ」と強調していないところがぐっと来ました。むしろ、「質的研究も量的研究も<現実を捨象して語る>という点では同根である」というスタンス。
あと、Maxqdaすごく欲しいんですが、値段が高すぎるのでおいそれと手が出ません。正直なところ、機能が値段と釣り合ってるかと言われるとけっこう疑問ですし。。。
terracaoさん、
返信削除コメントありがとうございます。
この本は、クールなところがいいですよね。自らの限界を画定した上でできるだけ工夫を凝らして最大限の結果を得るといったスタンスを私は感じました。
私はもう「量的研究法か、質的研究法か!?」などといったバトルをやっている段階ではないと思います。そういった方法論的論争をくぐり抜けたクールな若い世代に私は期待しています。「質的研究法って何よ?」とおっしゃる方の相手はあまりしたくありません(←暴言。世間を狭くするぞ(笑))。