「田尻科研」シンポが終わって16時間寝たら少しは元気が回復しました(笑)。実はシンポ前に疲労で風邪をこじらせてしまっていたのですが、シンポの興奮とその後の睡眠で少しはよくなりました。
よくあることですが、語り終えると、「そうか、このように語ればよかったのか」と自己観察というか反省して、新たに語りたくなることがあります。今回のシンポで語り終えて、新たに語りたくなったことを以下に短く書きます(田尻先生のことを呼び捨てで書く失礼はお許しください)。
田尻悟郎をつくったのは田尻悟郎である。
ゆえに、以下の話は嘘である。
***嘘の始まり、始まり~!***
田尻悟郎をつくったのは田尻大悟郎である。田尻大悟郎というのは、島根県の山奥の洞穴に住む謎の人物である。彼こそが、田尻悟郎に授業の技、およびその技の組み合わせ方のすべてを教えた。田尻悟郎はその田尻大悟郎の教えをすべて忠実に覚えたから現在のような授業の達人になった。
田尻悟郎は田尻大悟郎に教えてもらった授業の秘術( “the dark side of the class”と呼ばれる)をすべて忠実に再現できる弟子、田尻小悟郎をつくりだそうと全国を駆け回っている。田尻悟郎の秘術をすべて覚えた時、田尻悟郎はあなたに厳かに “From now on, you shall be called Tajiri Kogoro!”と告げるだろう。その時あなたは「スス」とも呼ばれる。これは出雲弁で「シス(Sith)」を意味する言葉である。
***以上で嘘は終わりで~す。パチパチ***
はい、わかりにくい上に、面白くなかったですね(泣)。スターウォーズ・エピソードIIIネタはマニアックすぎますね(涙)。
でも私が言いたいのは、「あなたは田尻小悟郎になろうとしていませんか?」ということです。
私が田尻科研シンポで言いたかったことは、「田尻悟郎をつくりあげたのは、田尻悟郎のコミュニケーションである」ということです。「田尻大悟郎ではない」ということです。また「田尻悟郎は田尻小悟郎をつくりだそうとはしていない」ということです(注)。
もう少し詳しく言います。
田尻悟郎は自分以外のもの(者・物)とのコミュニケーションを継続することによって田尻悟郎になった。田尻悟郎は時に、自分が壊れてしまう寸前まで、自らと異なるものの影響を受け、新たな要素を自分の内につくりだし、自分を再編成してきた。コミュニケーションを継続することにより自己変革を重ねてきた。このコミュニケーションの継続以上に田尻悟郎をつくりだした要因はない(と私は考える)。
現在の田尻悟郎は、昔の田尻悟郎と比べ物にならないほど新しい要素を自らのシステムの中に持ち合わせている。さらにこれらの要素は自己としてシステムの中に完全に組み込まれているので、新たな状況に応じて臨機応変に組み合わされる。ゆえに現在の田尻悟郎は、自分の授業がどのようになるかを自分でも完全には予想できない。この意味で、田尻悟郎は高度に複合的なシステムである。田尻悟郎というシステムは、新たな《環境》に対応するにつれ、どんどんと田尻悟郎を更新し、ますます複合性を高め、《環境》への対応力を増している。
これに対して「田尻大悟郎、田尻小悟郎」のたとえは、ある教師の技量がすべて情報として、他の教師に伝達・移転・移植できるといった(私に言わせれば誤った)前提に基づいたものである。しかし多くの教師は、田尻悟郎の技をそのままコピーして、自分を田尻小悟郎にしようとしている。
無論「技を盗む」という古来の知恵はある。だがそれは、他人の技を最終的には完全に「咀嚼」「消化」してしまって、「自家薬籠中のもの」、「受肉化」、つまりは「自分のもの」にすることである。表面だけの真似に終始することではない。表面的な真似では「技」はあなたの一部にはならない。
田尻実践の「技」を情報とだけして捉えて、その表面的な理解だけでその技を使っても、それは「田尻小悟郎」になろうとしているだけである。あなたという人間は、田尻悟郎という人間と異なるので、その異なり具合に応じて、「田尻小悟郎」になろうとする試みは失敗する。田尻悟郎をつくれるのは田尻悟郎だけである。あなたをつくれるのはあなただけである。
あなたという人間を優れた英語教師にするのは、英語の授業を核としたあなたの生活のすべての局面でのコミュニケーションである。そのコミュニケーションにおける自己変革があなたをあなたにする。
うーん、ごめんなさい。まだ田尻科研シンポの興奮が自分でもさめやらないのでしょう。だからこのような駄文を書かずにはいられず、また書いた後できっと後悔するのでしょう。しかし私はどうやらこのようなコミュニケーションの試みにより他人や自分自身から反応を得て、自己観察しない限り、自己改革ができないようですから、この恥ずかしい文章も公開します(自己準拠というか自己言及って癖になりそう←ルーマンの皮相な理解)。お粗末。
(注)田尻先生の東出雲中学の生徒の中で、ある課題をこなして「リーダー」に任命された生徒のうちの何人かは、自然と田尻先生の言動を模倣してしまっていたので、生徒は冗談で彼らを「小悟郎」と呼んでいました。しかしこれは微笑むべきエピソードであって、田尻先生が自分のコピー(「田尻小悟郎」)をつくりだそうということは全く意味していません。
追記:
「田尻科研シンポ」の詳しい報告がここにも掲載されていました。ありがとうございます。
追追記:
兵庫教育大学の今井さんのホームページのResearch Note (J)にも感想が掲載されています。感謝します。
2007年11月26日月曜日
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