2007年11月23日金曜日

田尻悟郎氏実践のルーマン的解明の試み4/8

2 コミュニケーションとは何か

2.1 これまでのコミュニケーション観は特定のメタファーで捉えられている。

2.1.1 「コミュニケーション」とは、通俗的には「コードモデル」 (Code Model) によって、情報が「移転」 (Übertragung; transmission) するというメタファーでとらえられている。それゆえ「コミュニケーション」はしばしば「情報伝達」と言い換えられる。

2.1.1.1 移転メタファーの同類に導管メタファー (conduit metaphor) がある。

2.2これまでのコミュニケーション観は、シャノンとウィーバーによる情報理論に基づいている。

2.2.1 シャノンとウィーバーはAからBに情報を正確に効率よく伝達(あるいは移転)することについて考察した。伝達には、情報の符号化(encoding)と復号化(decoding)が用いられる。この符号の伝達においてノイズがひどく、正確な伝達が行われないならば、伝達の誤りが訂正される。情報の符号化・復号化・誤り訂正が正確に効率よくなされれば、情報伝達は成功する。この考え方は情報技術を急速に発展させた。

2.3 しかし多くの人は、この情報理論を人間のコミュニケーションにも転用し、この情報理論を人間のコミュニケーション理論として考えた。

2.3.1 このコードモデル的コミュニケーション観によるならば、人間のコミュニケーションは以下のように説明される。Aという人間がXという思考内容を持ち、それをYという符号に符号化する。Bという人間はそのYという符号を正確に授受し(あるいはノイズによって乱された符号を訂正してYを復元的に授受し)、そのYから元々はAの思考内容であったXを復号化し、Bの頭の中にXという思考内容を移転することに成功する。つまりAからBへのXの移転がコミュニケーションの成功である。

2.4 だが関連性理論 (Relevance Theory) は、このコードモデル的コミュニケーション観が、人間のコミュニケーションを説明するには不十分であることを明らかにした。

2.4.1 人間は思考内容のすべてをある符号に符号化しつくせることはない。符号化は莫大な前提(presupposition)に基づいて初めて可能である。莫大な前提をすべて符号化することは、人間の情報処理能力を超える。

2.4.2 したがって人間は通常、ある符号化により、その符号の「明意」 (explicature) (あるいは「文字通りの意味」 (literal meaning) )と、その文字通りの意味に基づいて、相手が推論すると思われる「暗意」 (implicature) (あるいは「話者の意味」 (speaker meaning) )を、相手が理解することを期待して、自分なりの符号化を行うだけである。

2.4.3 逆に、人間は、相手の思考内容のすべてをある符号から完全に復号化することはできない。人間ができることは、相手が発した符号の明意を把握(comprehend)し、相手が、自分が推論することを期待していると思われる暗意を自分なりに解釈(interpret)して相手の符号化を理解(understand)するだけである。相手の思考内容のすべてを自分に移転させることは人間にはできない。

2.4.4 語用論の議論では暗意は、比較的同定が容易なものとして扱われることが多い(例えば “It’s cold here.”の暗意として)。しかし実際のコミュニケーションではそのように明らかな「強い暗意」はむしろ例外的であり、たいていの暗意は「弱い」ものである(例えばピクニックでの “Look at the blue sky”の暗意を正確に同定あるいは枚挙することはほぼ不可能である)。

2.4.5 暗意に明確な境界線が引けないとするなら、伝達される「情報」には明確な境界線を持たないことになる。このようにあやふやで曖昧なものを「伝達」あるいは「移転」すると考えるメタファーはそもそも適切ではないと考えられる。

2.4.5.1 また改めて考えて直してみるならば「明意」(「文字通りの意味」)の概念もそれほど明瞭なものでない。少なくとも発表者はこの概念を、トートロジーを用いずに説明することはできない。

2.5 したがって人間のコミュニケーションは、単なる情報伝達ではない。

2.6 人間ができることは、ある発話によって、相手の思考をある一定の方向に変えようと期待できるだけである(そしてその期待はしばしば裏切られる)。

2.7 人間のコミュニケーションを、コードモデル的にとらえることは、人間のコミュニケーションを誤解することにつながる。

2.8コミュニケーションのコードモデル的誤解に基づく行動は、「私は相手に自分の思いのすべてを伝えられるはずだ」という誤った期待を生み出す。

2.8.1 したがって、教師は学習者に、自分が伝達したいと願う教授内容をすべて伝達できることを期待する。また学習者が、教師が伝達したいと願っている教授内容をすべて自分のものにすることを期待する。

2.8.2また、教師は学習者に、自分が伝達したいと願う学習への意欲をすべて伝達できることを期待する。また、学習者が、教師が伝達したいと願っている学習への意欲をすべて自分のものにすることを期待する。

2.8.3これらの期待はたいていの場合裏切られる。裏切られたという感情はしばしば、自分あるいは相手、またはその両方が罰せられるべきだという考えにいたる。

2.9 人間は、他人の頭の中へ直接介入したり、他人の頭の中を直接操作したりすることはできない。コード的コミュニケーション観は、あたかも人間が、他人の頭の中に直接、情報を移植したり、他人の頭の中の思考内容や意欲などを操作したりできるかのような誤った期待をもたせる。

2.10 私たちは人間のコミュニケーションにおいては、コード的コミュニケーション観から決別しなければならない。

2.11 「私たちは他人の頭の中への直接介入や直接操作ができない」ということが新たなコミュニケーション理論の前提とならなければならない。

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