2007年9月29日土曜日

質的研究のあり方に関する報告2/10

2 方法論の決定とは

 「質的研究の導入」といえば、ついつい「量的研究か、質的研究か」という二律背反の図式で語りがちになるが、言うまでもなく、それは不毛な論争に過ぎない。教育研究に長年関わりあった研究者として佐伯は次のように語る(秋田他、2005:13)。

初学者から「メソドロジー」に関する質問を受けることは多いし、かなり経験を積んだ自立した研究者からも「メソドロジー」の妥当性に関する質問を投げかけられることは少なくない。この問いに答えるのは至難である。なぜなら、これらの問いを発する人のほとんどは、研究主題や研究対象やリサーチ・クエスチョンとは無関係にフィールドワークやアクション・リサーチの「メソドロジー」が存在するものと想定している。これらの人びとの質問は、その方向を転換する必要がある。この問いを発する人びとは自らの研究の意図や主題や研究対象やリサーチ・クエスチョンの曖昧さを問い直すべきなのである。フィールドワークもアクション・リサーチも方法論は多様であり複雑である。研究テーマにより研究対象により研究方法は千編自在に変化し、ひとつの研究を行うごとに最も説得力のある方法を研究者自身が自ら創造しなければならない。その創意のなかに研究の価値が内包されているというのが、私の25年間の経験から導きだされる結論である。


本報告は質的研究の導入を目指すものであるが、「質的研究しか認めない」というのも「量的研究しか認めない」というのと同様、不毛な見解であろう。私たちにとって最も重要なのは英語教育という研究対象であり、方法論においては適切な限りにおいて量的方法と質的方法の両方を臨機応変に使い分けることが必要である。そのためにも現時点での私たちは質的研究に関して過小評価も過剰評価もすることなく適切に理解しなければならない。

 だが質的研究というのは、それを選択することを決定したとしても、量的研究ほどには整備されたものではない。量的研究の場合においては、実験計画法や統計分析について予め学んでおけば、あとはその研究方法を適用すればよいという傾向が強いが、質的研究においては、研究の対象と内容によって、その都度研究方法を考え・編み出し・改善してゆくといった傾向さえ見られる。このあたりをウィリグ(2005: 2)は次のようにまとめる。

 研究のプロセスを一種の冒険と考えてみよう。大学生だった頃、私は「研究方法」を料理のレシピのように思っていた。研究は、正しい材料(代表的なサンプル、標準化された測定道具、正しい統計的検定)を選んで、これを正しい順序で調理すること(「手続」)だった。結果を出すために全力を尽くすたびに、固唾を飲んで、実験が「うまくいく」ことを願った。まるで、完璧に焼けた料理がオーブンから出てくるのを待って、台所をうろうろするように。
 今、私は研究をもっと違う目で見ている。「研究方法」は、問いに答えるための方法になった。研究方法は、答えが正しいかどうかを判断する方法でもある(これは、研究方法と認識論の接点でもある。これは後で述べる)。どちらにしても、研究というものは、私にとって、機械的なもの(適切な技法を問題に適用する方法)から創造的なもの(どうやったらわかるようになるのか?)へと変化したのだ。研究のプロセスの中で、研究方法はレシピだというメタファーを、研究プロセスは冒険だという見方に置き換えたのである。


この「冒険」のメタファーは読者によっては詩的過ぎるように聞こえるかもしれないが、ウィリグのポイントは、既成の方法論に依拠することだけを研究のあり方とするのではなく、方法論を必要な場合には新たに作り出し、そのたびごとに研究の信頼性と妥当性を問い直しながら、研究を進めてゆくことである。これは実は量的研究の最先端でも行なわれていることであり、研究のあり方としては、実は、非常にまっとうなことを述べていると考えられる。上のメタファーが奇抜に感じられるとしたら、私たちが関連研究領域の「お下がり」の量的研究法を無批判的に正しいものと前提し、それに沿うことを学問性のあり方だと混同しているからである。私たちは量的研究法と質的研究法の両方をそれぞれに的確に理解して、それらを使い分けなければならない。量的研究(実験心理学)から研究者生活を始め、次第に質的研究に移行したやまだは次のように述べる(秋田他、2005: 61-62)。

 実際にやってみると、実験心理学はその範囲ではおもしろかった。問題の焦点をきりきりと焦点づけてクリアーにし、論理的につめていく探究のしかたはすっきり気持ちがよかった。実験的な方法では、純粋な条件に統制した実験室で少数の要因に仮説をしぼりこんで、仮説演繹的に実験を積み重ねて、結果を数量化し、できるだけ単純にクリアーにだしていく。これは、現在の私が行っているフィールド研究や質的方法とは対極にある方法である。
 しかし、いまから思えば、「純粋な少数要因にしぼりこむ」実験法を学び、それを対極として常に意識せざるをえなかったことで、逆に「複雑なフィールドの多要因の相互連関」を大事にするフィールド研究の重要性がわかるようになった。また、現象をただ記述するだけではなく数量化してはじめて見えてくるものがあり、その逆に、現象を質的に意味づけてとらえなければ見えてこないものがあることも実感できた。現象を、量としてとらえる、そして質としてとらえる、その両方のアプローチがあり、両者は相互補完的であるが、ただ折衷的に両方やればよいというものではなく、両者の長所を最大限に生かした組み合わせを考える必要があることも、しだいに鮮明になってきた。すっきりと論理を組み立てる実験のおもしろさもわかるので、「いろいろあれもこれもと欲ばって、でも最終的に何がわかったかはっきりしない」というゴチャゴチャ・タイプのフィールド研究に出会うたびに、その弱点もよく自覚できるようになったと思う。(やまだようこ:61-62ページ)


量的研究法は英語教育界において一定の理解が達成されていると考えられる以上、この報告書では以下、質的研究の理解を試みることとする。

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