2007年6月28日木曜日

子安増生『心の理論』岩波書店


 この本は「心の理論(theory of mind)について、サイモン・ロバート=コーエン(Simon BaronCohen)の『自閉症とマインド・ブラインドネス』(青土社)(原題 Mindblindness)を手がかりにして、手短にまとめた入門的啓蒙書です。私は関連性理論Relevance Theory)への興味から、この「心の理論」にも興味をもっておりましたが、勉強する機会を逸しておりました。今回、あるきっかけで読み始めましたら、とても面白くすぐに読み終えることができましたので、良書としてここに紹介する次第です。目の前にいる相手と話す力、目の前にはいない相手の心を想像しながら書く力といった言語コミュニケーション力を考える際に、「心の理論」は関連性理論と並んで重要な理論になると思います。

ここでの「心を読むシステム」は、四つの要素から構成されています。

(1)意図検出器(Intentionality Detector; ID)

自分で動くもの(他者あるいは他物)が自己の位置に向かってくるかどうかを検出

(2)視線方向検出器(Eye-Direction Detector; EDD)

眼(眼状刺激)がこちらを向いているかそれとも他の物を見ているかを検出

(3)共有注意の機構(Shared Attention Mechanism; SAM)

自己と他者と第三の者(物)の以下のような関係を理解できる

(a)視線の追従:人の視線の動きを追いかけることができる。

(b)宣言的指さし:人の注意をひきつけるための指さしの理解と産出

(c)物の提示:物を他の人に見えるように示すことができる

以上、同書79-80ページ

(4)心の理論の機構(Theory of Mind Mechanism; ToMM)

一次的信念(例「Aさんは物Xが場所Yにあると(誤って)信じている」)だけでなく、二次的信念(例「Aさんは物Xが場所Yにある、とBさんは(誤って)信じている」)までもが理解できる。

以上、同書101ページ

 この二次的信念の理解は、「Aさんは、私がAさんを嫌っていると思っているように私は思える」といった他者を通じた自己理解を促進します。このように二次的信念が理解できると、「Aさんの信念についてのBさんの信念についてのCさんの信念」といった三次元的信念も理解できるようになります。このような高次の信念は、込み入った人間関係を描く小説やドラマを理解する前提となります。

以上、同書104-105ページ

 これらの四つの能力は、原初的なものとしては、霊長類、赤ちゃん、幼児、大人と連続しているものですが、特に「心の理論」の「誤った信念課題」はおよそ四歳ころから出現するとされています。また自閉症は、「心の理論」および「共有注意の機構」を欠く発達障害だとも考えられています。

 このように、言語を使ったコミュニケーションの基礎となる「心を読むシステム」ですが、これは現代の子どもでは十分に育っているのでしょうか。ここからは私の愚見を書きますので、眉に唾つけて読んでください。

 昔ながらのトランプの「七並べ」などは、「心を読むシステム」を育てるには格好の遊びかもしれません。「心の理論」で、相手の心を読まないとうまく勝てないからです。もちろんこのようなゲームはコンピュータ上でもできますが、他のプレーヤーと一緒にやるほうが「心を読むシステム」を育てるにはいいでしょう。「視線方向検出器」を基底とした「眼の表情を読む」高度な能力を使ったり、「共有注意の機構」を使って他のプレーヤーの関心がどの札にあるかなどを読み取ったりできるからです。

 それに対して、古典的な「インベーダー・ゲーム」などの、一部のコンピュータ・ゲームは、「意図検出器」だけを使って、ひたすら反射運動を繰り返すだけのように思えます。このような遊びばかりしかしていない子どもと、昔ながらの集団での様々な遊びを繰り返している子どもでは、「心を読むシステム」、ひいては言語コミュニケーション力に大きな差ができてしまうのではないでしょうか。

 日本語にせよ英語にせよ、仮に語数だけ多くペラペラ喋っても、それが「心の理論」が弱い、もっぱら自己中心的な観点から語られるだけでしたら、聞き手の共感や理解を得ることはできません。それ以前に視線が泳いでいたりする話し手は、その場で聞き手の心をうまく読んで話を修正・改善するための前提を欠いているようにも思えます。

 眼前にいない相手の心の状態を想像しながら書かなければならない書き言葉の習得は困難なものです。しかし、そういった書き言葉の習得は、話し言葉の習得の延長線上にあるように思えます。その話し言葉の習得をよく考えるためには、こういった「心を読むシステム」といった理論を勉強しながら、言語を使ったコミュニケーションが現代よりも豊かだった昔の暮らしぶりや遊び方を想起することも必要なのかもしれません。

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