2011年5月25日水曜日

七沢潔(1996)『原発事故を問う ―チェルノブイリから、もんじゅへ― 』岩波新書

これは現在は、NHK文化研究所にいる七沢潔氏が1986年のチェルノブイリ事故発生から10年間に制作した10本あまりのテレビ番組のノートを基にして書かれた本(277ページ)で、原発問題が科学技術の問題である以上に政治の問題であること、科学技術が「政治化」されてしまっていることを明確に伝えています。

私はNHK教育テレビ(ETV)「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」のディレクターの一人であった七沢氏に興味をもち、この本を購入して読みました。現在、そしてこれからの近未来において、私たちが、他ならぬ日本政府から自らの健康・生命・暮らし・人生そして人間としての尊厳を守るために必読の書であると私は考えます。

以下、その概要をかいつまんでまとめますが、ぜひ皆さんもご自身でお読みください。


■チェルノブイリ事故においてソビエト政府が取った対応(情報の隠蔽や操作)は、現在の日本政府の対応と驚くほど似ている

この本の第一章「パニックを回避せよ」は、まさに日本政府が取り、今なお続けようとしている対応です。この本は1995年12月におきたもんじゅの事故を受けて書かれたものですが、七沢氏はこのもんじゅの事故を、以下ではチェルノブイリと「相似形の田舎芝居」と述べていますが、今回の東京電力福島原発事故は、チェルノブイリに匹敵する大事故となってしまいました。今こそこの本を読むべきと私が述べる次第です。


いま、チェルノブイリ原発事故という、二十世紀の終わりに人類が立ち止まって自らの姿を映し、見つめ直すべき歴史の鏡を、もう一度手にとり、そこにかかった曇をはらさなければならない。さもなくば、それから十年後に起こった相似形の田舎芝居は、茶番劇とは呼べない深刻な未来に直結するだろう。それは最悪の場合、「チェルノブイリ」の五年後にソ連が迎えた「国家の崩壊」という終幕である。(12ページ)




■原発事故において人々はあまりにも無力で、国家権力はあまりにも冷酷

七沢氏は一連の取材で、チェルノブイリ原発などの汚染地帯の現場も歩き、元チェルノブイリ原発所長、放射線測定技師、運転員、医師・看護婦、科学者、ゴルバチョフ元書記長、IAEA事務局長など百名以上にインタビューをしています(18ページ)。この取材の結論ともいえる記述が第一章にあります。


そして浮かび上がってきたのは、「誰も予想だにしなかったカタストロフ」を前にした時の人々の無力さと、目に見えず、においもしない放射能との絶望的な戦い、そしてどんなことをしてでも社会を維持しようとする国家権力の冷徹な姿だった。(18ページ)。


「システム」というのは、それが生命であれ、組織であれ、自らのシステムの自己保存をもっとも強力な機能としてもちます。システムは、自己のシステムを崩そうとする周りからの圧力には頑強に抵抗します。

政府も、政治家や官僚という生身の人間によって主に動かされていますが、その人間もシステムの部分として長年働くうちに、システムを守ることを第一に考えるようになります。現在の多くの政治家や官僚も、これまでの国や省のあり方が大幅に変わらないようにすることに必死で、そのあまりに、人々の生命が損なわれていることを見て見ぬふりをしているように思えます。



■チェルノブイリ事故の際のソビエト政府の対応

以下、第一章に書かれているソビエト政府の対応を時系列でまとめてみます。


●4月26日 深夜1時23分
チェルノブイリ原発四号炉が爆発

●4月26日 深夜2時頃
第一報を受けた、チェルノブイリ原発所長のブリュハーノフ氏がバスで発電所に向かう。その途中で四号炉の上部がないことに気づく。

●4月26日 深夜3時頃
プリピャチ市の市議会議長とウクライナ共産党プリピャチ市委員会第二書記が原発所長に会いに来る。所長は「非常に重大な事故が起こったので、住民を避難させなければならない」と主張。しかし二人の幹部は「避難するとなればパニックが起きる」として、上部組織であるキエフ州やモスクワからの指示を待つことにする。

●4月26日 午前11時まで
ウクライナが共産党キエフ州委員会第二書記やプリピャチのKGB支部長など上位者が多数現れはじめたが「パニックを起こすな。機密を保持せよ」と命令を出すだけ。

●4月26日 午後2時半
モスクワのルイシコフ・ソ連首相から一報をもらったウクライナ共和国のリャシコ首相は、かねてから実地していた避難テストの経験を活かせると判断し、1200台のバスと240台の自動車をプリピャチに向けて出発させる。(38ページ)

●4月26日 午後8時
ソ連政府事故調査委員会の委員長として任命されたソ連のエネルギー問題副首相のシチェルビナ氏がプリピャチ市に到着。ウクライナからのバスに対しては、その自発的な行動を一喝し、車を郊外に待機させた。(37-38ページ)

●4月26日 午後8時以降の夜
シチェルビナ氏が会議を招集。ウクライナ民間防衛軍司令官は、バスの手配もふくめて住民避難の計画案があると進言。ソ連保健省代表は避難の必要はないと主張。物理学者は原子炉で何が起こりつつあるかわからないと危険性を指摘。

シチェルビナ委員長は「避難をさせた場合、それが噂となって周辺の住民にパニックが起きないか。特にキエフの三百万住民が集団脱出をしたらどうなるか。外国にも知られてしまい、国家の権威は失墜し、秩序は崩壊する」と懸念し、決断を翌朝の会議まで持ち越すこととする。(40ページ)

●4月27日 午前10時
プリピャチ市からの住民避難を決定。(41ページ)

●4月27日 正午
ラウドスピーカーと有線ラジオで「原発事故により汚染が始まっていること」「三日間ほど町中の人が避難することになったので必要書類と三日分の衣服と食糧を携行すること」「戸締り、ガスの元栓をしめて落ち着いて行動すること」を市民に呼びかける。(41ページ)

●4月28日 夜
モスクワ放送が「チェルノブイリ原発で事故が発生し、原子炉一基が破損した」と初めて事故を公式に伝えた。(43ページ) しかし人口の多いキエフのことを気にして、せめて5月1日のメーデーのお祭りが終わるまでは詳しい情報は伝えないことにした。(44ページ)

●5月1日 午前十時
キエフでメーデー行進は予定通り始まる。その模様は国営テレビを通じて全ソ連および外国へも伝えられる。(46ページ)

●5月6日 
原発で第二の爆発の可能性が高まったがそれは機密とされ、シチェルビナ委員長は記者会見で「事故のあった原子炉にヘリコプターを使って、鉛などをまぜた四千トンの砂を投下したことで新たな放射能の放出は止まった。これ以上悪化する心配はない」と述べる。(60ページ)

この頃、キエフ市民が次々に町を脱出し始める。(61ページ)

●5月7日
ウクライナ共和国のロマネンコ保健大臣が地元テレビおよびプラウダ紙上のインタビューで情報開示。「風向きが変わったことでキエフ周辺で放射線が一定程度上昇。飲料水は大丈夫だが子どもを戸外で水遊びさせたり長時間外出させないこと、住宅を掃除すること。ただし放射線のレベルは人体に影響はない程度」などと述べる。(65ページ)

これは「パニックに拍車をかけるような演説をしてはいけない。人々を安心させるために演説するのだから」というウクライナ共産党中央委員会およびモスクワの検閲機関の手が入ったものだった。(65ページ) 

このロマネンコ発言をラジオ放送で聞いたソ連保健省の高官は激怒し、保健省役人を大挙してウクライナに派遣し、「あの演説は市民の不安を呼び起こす。する必要はなかった」とロマネンコ氏を糾弾。しかし後年、このロマネンコ演説は不十分な情報開示として批判された。(66ページ)

●5月7日
ウクライナ共産党シチェルビツキー書記長の依頼でモスクワの二人の専門家(科学者)がキエフに来る。住民保護策について意見を求められる。二人の意見は報告書にまとめられ市民の疎開や子どもの避難は必要ないとされた。(67-68ページ)

ウクライナ共和国最高会議議長シェフチェンコ女史はこの勧告に真っ向から反対。「あなたがた二人は自分の子どもや孫をここに住まわせますか」と問う。シェフチェンコ女史によれば二人の科学者は沈黙。(69ページ)

●5月9日
ウクライナ共和国は、モスクワの専門家が必要ないとした「疎開」や「避難」という言葉は使わずに、勧告にあった「夏休み」を繰り上げることとして、実質的に学童疎開を開始した。5月25日までに52万6千人の子どもと母親および妊婦が疎開をした。(70ページ)

●5月9日
ウクライナ共和国政府の実質的な疎開措置に対し、モスクワのソ連政府は露骨に不快感を表し、シチェルビツキー書記長に直接電話で警告を発する。

●5月13日
ソ連共産党事故処理緊急対策会議は、ウクライナ保健省が根拠のないあわてた行動と勧告を行ったと強い論調で批判。

●5月14日
ソ連保健省は、それまで決められていた住民の被曝許容線量を大幅に引き上げる。




■ソ連と日本の共通点

上のまとめに、ソ連と日本の共通点が見られるように思えます。


●原発の現場責任者は、混乱の中でも比較的的確に現状認識をしている。

●政府・役人はとにかく秩序維持を第一にして、できるだけ住民避難をさせまいとする。

●政府・役人は情報を隠すことによって、住民のパニックを抑えようとする。

●政府・役人は、少々の危険はあっても、公式行事を行いそれをTV放映することなどにより無事をアピールしようとする。

●政府・役人の情報統制にもかかわらず(あるいは情報統制ゆえに)住民はパニックを起こし始める。

●政府・役人は情報開示をせざるを得ない状況に追い込まれると、非常に間接的でわかりにくい表現で発表をする。ちょっと聞くと、それほど危険ではないような言い方をする。

●科学者の勧告も、常識的な問いかけ(自分の子どもでもそうするのか)の前には沈黙せざるを得ない。

●地方政府・自治体が、「秩序」優先の中央政府に反抗して、住民の安全を守ろうとする際も、中央政府の命令・指示に反しないような表現を使って、住民に指示を出さなければならない(中央政府の命令・指示が住民の安全にとって障害となる)。

●中央政府は、地方政府・自治体の独自行動に不快感を示す。

●中央政府は、「秩序」を守るためには、科学的であるはずの基準も平気で変える。



私は今回の政治家・官僚の一部は不作為により、後々刑事告発される、いやされるべきと思っていますが、このまとめを見てみますと、政治家・官僚の不作為は、個々人の性格だけから生じるのでなく、秩序をとにかく保ちたいとする、政府・省庁という組織のシステム的性質からも生じているのかなと思われます。

もちろん上にも見られるように気骨ある政治家は独自に人間を守ろうとします。ですから、不作為に耽る政治家・官僚の浅慮と冷酷さ、つまりは人間的想像力の欠如は厳しく批判されるでしょう。しかし一方で、政府・省庁という組織は、下手をすれば生きた人間を、システムの自己保存のための部品にしてしまうのではないかと私は考えてしまいます。

以上で一章のまとめを終ります。時間がないので本日はこれまで。残りは後日、まとめます。ただ、大切なことだけ予め述べておきますと、IAEAは、加盟国の政府の利益と意向を代表する組織であり、各国の国民や、世界の市民のための組織ではない、ということです。これはIAEA事務長の発言としてこの本の240ページに掲載されています。

今、日本では、IAEAの調査が事故の真相を明らかにしてくれるのではないかと期待が高まっていますが、少なくともチェルノブイリ事故ではそうでなかったことをこの本は示しています。

また以下の報道は、あたかもIAEAが気象庁のデータ公開を終了させたかのように読めますが、上記のIAEA理解が正しいなら、気象庁のデータ公開中止は、原発を推進しようとする日本政府が、同じように原発推進を考えるIAEAメンバーの他国政府と強調して、できるだけデータを隠して事故の被害を過小評価させようとしているとも考えられます。

繰り返しますが、どうぞこの本を読んでください。


気象庁が拡散予想を終了 IAEAの連絡で

 気象庁は25日、国際原子力機関(IAEA)からの要請を受けて作成していた福島第1原発からの放射性物質拡散予想について、IAEAから「要請を終了する」との連絡があったことを明らかにした。同庁は新たな要請が来るまで、予想の作成はしない。

 IAEAは、終了の理由を明らかにしていないという。

 気象庁の予測は、世界各国への影響を把握するためIAEAが要請。東日本大震災が発生した3月11日から1日1~3回、最近は週に3回程度予測しIAEAに報告しており、政府の指示で4月5日からは同庁ホームページで公表していた。

 ただ、予測の基礎的なデータは「72時間に1ベクレルのヨウ素131が放出」などと仮定の数値を使っているため、濃度などは実態を反映していないとしている。

 同庁によると、IAEAからの連絡は23日夜にあり「状況に変化のあった場合は、あらためて要請する」との内容。

2011/05/25 12:05 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052501000356.html










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