tag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post3942654414252068217..comments2017-09-29T08:02:30.650+09:00Comments on 英語教育の哲学的探究2: 意味順ノート柳瀬陽介http://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-49666572176365283752010-10-08T18:05:34.857+09:002010-10-08T18:05:34.857+09:00Tomoさん、コメントありがとうございます。
たしかに「想像力」は共通していますね。
それに事象に対...Tomoさん、コメントありがとうございます。<br />たしかに「想像力」は共通していますね。<br />それに事象に対する想像力と、他人に対する想像力が通底しているというのもわかるような気がします。<br />しかしそこをどう説明するかというのが微妙なところですね。<br />まあ、しかし世の中に頭のいい人がいて、しかもその人が自分とつきあってくれたら、本当に幸せですよね。私は田地野先生を始め、自分にはもったいない方にお付き合いしていただいているのでその意味で幸せです。<br />それでは!<br />柳瀬陽介柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-76528420176484354742010-10-08T14:38:09.714+09:002010-10-08T14:38:09.714+09:00>(1)「言われてみれば当たり前だけど、誰もなかなか気づいていないこと」、あるいは「気づいていても実...>(1)「言われてみれば当たり前だけど、誰もなかなか気づいていないこと」、あるいは「気づいていても実現化できていないこと」をやり、かつ (2)他人の幸福をよく考えているからお付き合いすると本当に楽しい人、です。<br /><br />同感です。結局(1)も(2)も「想像力」の問題で、繋がっているのかなと思います。「当たり前の前提を可視化させること」というのは(広い意味での)”哲学”という営みの持つ最も重要な機能のうちのひとつと言えるでしょうね!<br /><br />他人の幸福を考えるような想像力と、哲学的想像力の間にそれほど距離はないのでは、と僕は思っています。もちろんそういった「幸福」とか「倫理」とか言った(人間くさい)概念にとらわれすぎて、”哲学”という(純粋な)知的格闘技を人生論的(俗に言われる「人生哲学」のような感じのアレです)に曲解してしまうのも好きではありませんが、それでもやはり、どこかでそれら2つの想像力は繋がっているはずだし、繋がっているべきだと僕は考えてしまうのです。<br /><br />そういう意味で「頭の良い」友人というのは得難いものですが、ひとりでも身近にいると、人生が楽しくなりますよね(^^)Tomonoreply@blogger.com