tag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post3838447762655718857..comments2017-09-29T08:02:30.650+09:00Comments on 英語教育の哲学的探究2: 内田樹(2008)『街場の教育論』ミシマ社柳瀬陽介http://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comBlogger8125tag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-10649851622470510562015-07-07T11:31:58.254+09:002015-07-07T11:31:58.254+09:00身体の動きには模倣能力があり、それが思考の概念と共通する点だった。
この身体の動きは目に見えるように...身体の動きには模倣能力があり、それが思考の概念と共通する点だった。<br />この身体の動きは目に見えるようになった主観である。<br />動くことで動きの内部知覚が生じる、これも概念が内部知覚である点で<br />共通する。<br />この動きを言葉にすることができる。つまり、動きに概念を模倣させる<br />こともできる。こうして目に見える主観としての動きが<br />目に見える概念となって、手話などのボディランゲージになるAnonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-74901270959043284062015-07-06T23:48:44.251+09:002015-07-06T23:48:44.251+09:00続き 子供に科学を身近に感じさせるには、子供たちを冷たいようですが、彼ら自身を環境の一要素に見立て目...続き 子供に科学を身近に感じさせるには、子供たちを冷たいようですが、彼ら自身を環境の一要素に見立て目標を変えるとそれに付随する動きが変わり結果が変わることや、自分が学校と家の中にいる時などそれぞれの環境の中での活動の差異や、自分と対象を対峙させて自分はどういう反応をするか、そして対象を別の対象に変えると、反応も変わるか、今度は対峙する対象ではなく、それを知覚する自分を誰か別の人に変えてその人はどういう反応をするか、など、自分や友達など身近な人を巻きこんだ科学内容だと子供たちは面白がるかもしれない。でも何歳から学ばせればよいだろう。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-56369998346945320462015-07-06T23:24:16.333+09:002015-07-06T23:24:16.333+09:00続き。思考は外界に対面して内部に概念を作りあげる。武術において、思考は師匠の動きを知覚して、それを回...続き。思考は外界に対面して内部に概念を作りあげる。武術において、思考は師匠の動きを知覚して、それを回し蹴りという概念として生成する。概念は回し蹴りの模造である。次に師匠の回し蹴りを思考ではなく体で摸倣しようとする。動きを摸倣したら、思考の場合は概念を内部で知覚するが、体の場合は動きを内部で知覚する。頭の記憶と体の記憶。体にとっては動きが概念。概念で言葉を生成するように動きで武芸を披露する。概念も摸倣だが、動きも摸倣できる。思考は他者の思考を摸倣できるように動きも他者の動きを摸倣できる。同じ領域に属するものどうしでは互いに摸倣できるのだろうか。もちろん完全に全てを摸倣できない場合もあるだろう。主観的概念だけでなく客観的概念もあるという立場では思考が概念を外界から生成できるのは、外界に理念存在があるからだ、となる。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-41902631883434031352015-07-05T00:49:41.410+09:002015-07-05T00:49:41.410+09:00学習指導要領に生きる力とありますが、知識、道徳、体力と、真善体であり、美が欠けてます。真善美体で全体...学習指導要領に生きる力とありますが、知識、道徳、体力と、真善体であり、美が欠けてます。真善美体で全体的です。芸術教育。<br /><br />また記憶は視覚的記憶は見たものを自分の中に外的な形で取り込むと思いますが、動きの記憶は動きを体の中で知覚してその内的知覚を記憶することで、いつでも動きを、記憶から単語を取り出すように、動きの記憶から動きを取り出すと考えます。動きの記憶は武術以外にも仕事にもあると思います。普遍的な動きの記憶は水のような動きでしょう。言葉の記憶に偏らずに、動きの記憶、言葉の記憶、芸術制作の記憶、自然や社会の記憶の形成など諸記憶をバランスよく形成したほうが良いと思いました。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-47369816747804836062015-07-05T00:33:24.577+09:002015-07-05T00:33:24.577+09:00続きです。シュタイナーは社会三層論で人間を三つの要素にわけたアナロジーとして社会を形成しますが、それ...続きです。シュタイナーは社会三層論で人間を三つの要素にわけたアナロジーとして社会を形成しますが、それには法政治領域、経済領域、精神領域が対応してます。この三つの要素はそれぞれが独立しているので、例えば精神領域に属する教育も国家から独立しています。つまり教育が自由です。国家も教育から自由です。三つの要素は平等、博愛、自由にそれぞれが対応し、それぞれが独立していることで、それを達成するための活動が束縛されることなく存分に達成できるという理論だと思います。<br /><br />液体と固体の関係は概念の物質的な表現と考えると、液体が普遍です。<br /><br />なので、水のようになる武術は体でイデア、つまりアイデア、概念、理念を体現しようとしていると考えられます。ここにジークンドーと老子とヘーゲルがつながります。<br /><br />Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-82961993553402743542015-05-14T09:36:31.435+09:002015-05-14T09:36:31.435+09:00シュタイナーは教育は芸術であるべきだと主張してます。シュタイナー学校の英語の時間って本もあります
...シュタイナーは教育は芸術であるべきだと主張してます。シュタイナー学校の英語の時間って本もあります<br /><br />社会三層論は人間の肉体が生きるためにはどんな条件が必要か考えます。すると肉体の機能を三つの要素に分けることができます。この三つの要素は肉体の中に浸透して人間が生きることができるように、社会に人間が生きるための力が浸透している。社会を人間にすることで人間を同質の領域の中で生きることができるようにします。人間的な環境で生きるためには、機械や制度、法律などにも人間的なものを浸透させようって内容がシュタイナーとは別の機械の現象学って本にもありました。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-24775394454197054752015-05-11T12:25:08.562+09:002015-05-11T12:25:08.562+09:00シュタイナーは中途半端にしか勉強していません。先日、ドイツのシュタイナー教育者と話をする機会がありま...シュタイナーは中途半端にしか勉強していません。先日、ドイツのシュタイナー教育者と話をする機会がありましたが、もっと詳しく話を聞けばよかったと思っています。柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-17180573032421076312015-05-11T00:42:53.986+09:002015-05-11T00:42:53.986+09:00柳瀬さん。
質のページで書いたものです。
ルドルフシュタイナーをご存知でしょうか。エンデも彼の影響を...柳瀬さん。<br />質のページで書いたものです。<br />ルドルフシュタイナーをご存知でしょうか。エンデも彼の影響を受けてます。シュタイナー教育、シュタイナー学校というのがあります。そこの教育も資本主義的な教育とは一味違ったものだろうと思います。<br /><br />ルドルフシュタイナーの社会論の自分の理解を喋ってみます。私も詳しくは知らないのです。それは経済と法と精神の自由を独立させること。これは人間の感情、思考、意志に対応しているというのです。この論の創造の背景にある考えを想像すると、おそらく、人間の生きる社会領域に、これら三要素を浸透させ、つまり生きるのに必要な条件を社会領域に組み込むことで、社会を生命溢れる生活環境にしようってことだと思っています。<br /><br />Anonymousnoreply@blogger.com